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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2008080005 遠藤周作 留学 1965 日本 新潮文庫

評者:発起人    評価:8  読了日:2008/08/18  公開日:2008/08/20

西欧・日本の巨大な差異・隔絶に敗れる「留学生」を描いた三部作

 遠藤周作(えんどう・しゅうさく、1923-1996)が問い続けたテーマのひとつが汎神論的風土の日本に生まれ育った自己と一神教カトリック信仰との葛藤である。ひいては日本人と西欧人の相互理解の困難、西欧に対する劣等コンプレックスとその裏返しとしての西欧過小評価や反発・無視という問題である。

 本書は三つの独立した物語から構成されている。しかし、いずれの小説もこのテーマが変奏されている。主人公はすべて留学生である。

「第一章 ルーアンの夏」での主人公は戦後まもなくカトリックの留学生としてフランスのルーアンにあるベロオ一家に寄宿(いまで言うホームステイか)している工藤である。ベロオ家では工藤は亡くなった息子のポールと同じ名前で呼ばれる。一家も町の人たちも工藤に善意からいろいろアドバイスしてくれる。しかし彼らは、東洋のほとんど知られていない国から来た工藤を珍しいものを見るように、何も知らない子どもに対する保護者のように扱うのである。「日本はアフリカのチャッドやコンゴとは違う。・・・私の国には基督教が結局はその根を腐らしてしまう風土があるのだ。あんたたちが考えているような生やさしい国ではないのだ。」と独白する工藤だが、微笑を浮かべて彼らに接する。遠藤周作自身、1950年から約3年間フランスに留学している。

「第二章 留学生」では十七世紀にローマに渡った荒木トマスの生涯が描かれる。日本でのキリスト教禁止と弾圧の中で「荒木は日本で始めてヨーロッパに行く留学生となった。」ローマで十数年過ごしたあと日本での再布教の指令を受けて日本に戻った荒木はしかし捕縄され、拷問を受けるとすぐに「転んだ」。そして信者を棄教させる役目を果たす。「もう沢山だ。放っておいてくれ。日本人にあなたたちの考えを押しつけないでくれ」。棄教あるいは転向の問題に焦点があてられる。

「第三章 爾(なんじ)も、また」では仏文学者の田中がパリに留学する。すでに戦後十数年以上経ちパリにもさまざまな日本人が留学している。田中は大学講師であるが、パリに到着した第一日目から石造りのこの都市の重苦しさ、あるいは欧州文化・歴史の重みを感じる。(田中の止宿先はプルーストが死んだホテルなのだ)。同時にパリの日本人社会の俗悪さを嫌悪するが、日本へ帰ってから要領よく留学したという事実を利用して「外国文学者」として成功しようとする当初の彼自身の目論見も崩れていく。パリにいる多くの日本人留学生たちの世界からも徐々に離れていく。自分が専門にしているサド(まだ日本では本格的に勉強するものは少ないという功利的な理由で選んだのだ)を勉強し、事跡を尋ねていくうちに田中は正面からこのヨーロッパという大河の流れに挑もうとする覚悟を固めていくのだが、彼もまた根本的な西欧−日本の葛藤に飲み込まれていくのである。この作品では同時にサドの生涯の概要をも読者は知ることができる仕掛けになっている。分量的には三篇のうち最大である。

 2008年現在、この作品で描かれた差異や隔絶の感覚は表面的には薄まってきているように感じられる。なにしろグローバル化が進行し、日本も工業製品だけではなく、マンガやアニメに代表される文化でも高い評価を受けている(らしい)のである。一神教的な信仰が世界の紛争・戦争の根にあるのではないかという当然の懐疑も広がっている。

 しかし、劣等コンプレックスの裏返しとも言える排他的ナショナリズムはかえって高まっているのではないか。ヨーロッパ文明に正面から立ち向かおうという覚悟はないまま、「勝負」は避けたままの長い長い終わらないロスタイムのような時代になっているのではないか。遠藤周作の取り組んだテーマは忘れたまま、蒙昧の中へ後退しようとしているのではないか。誰が?もちろん私がである。


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