感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2008050001 ガブリエル・ガルシア=マルケス 悪い時 他9篇 1962 スペイン 新潮社

評者:発起人    評価:7  読了日:2008/05/04  公開日:2008/05/05

故国の絶望的状況を描くガルシア=マルケスの異郷での作品集

 新潮社から刊行された「ガルシア=マルケス全小説」の『落葉 他12篇』に続く(時期的に見て)2冊目が本書『悪い時 他9篇』である。1958年から62年にかけて刊行された作品が収められている。

 全体的に決して読みやすいとはいえない。長期間にわたり内戦状態が続き、政治弾圧・殺人が日常茶飯事のコロンビアの政治状況や大土地所有者、カトリック教会、軍部、米国資本の支配などの知識がないと、ガルシア=マルケスがいったい何を書こうとしているのかまったくわからない可能性もある。

 本書の解説(野村竜仁)などによると、ガルシア=マルケスは1954年ごろからコロンビアを離れ、フランスやベネズエラ、キューバ、メキシコなどで暮らし、執筆を続けた。故国にはほとんど足を踏み入れていないようである。これがコロンビアの政治状況と関係がある。

 本書に収められた作品はしかしすべてコロンビアの現実・記憶を反映して書かれている。同一人物再登場や頻繁なリレーのような視点移動は恒常的に使われ、スピンアウト的作品もあり、抽象化の度合いは高い。直接コロンビアの状況をリアリズムの手法で描き批判するようなことは半検閲下におかれていたこの作家にはできなかったという理由が推測できる。

 しかしそれゆえに、貧困が続き、暴力が蔓延する社会の本質的批判を展開できたとも言える。作者は異郷の地で貧窮に苦しみながら、プロパガンダや政治的ビラのような文章から意図的に脱却し新しい表現方法を編み出そうとしていたのだ。そしておそらくその集大成として『百年の孤独』(1967)を出し、広範な民衆にも受け入れられる作品として成功を収めるのである。

 未読あるいは未購入の方のために追記しておくと、本書に収録されている作品は『ママ・グランデの葬儀』(集英社文庫)、『エレンディラ』(ちくま文庫)および『悪い時』(新潮社)を底本としている。(=新訳はない。)

 さて、私はいよいよ『百年の孤独』(1967)の再読にとりかかった。

 以下は私の心覚えのために各篇のあらすじを書きとめておく。

「大佐に手紙は来ない」(内田吉彦訳、1958):「大佐」は政府からの軍人恩給支給の知らせを老妻とともに貧窮の中待ち続けている。一人息子は撃たれて死んだ。大佐の属する(していた)革命軍は内戦で敗れたが、「協定」により資格はあるはずだ。「町」では反政府勢力による「秘密文書」がやり取りされている。停滞し暴力と死の匂いが立ちこめる中で「大佐」の状況はまったく救いようがないほど絶望的である。

「火曜日の昼寝」(桑名一博訳、1959):泥棒として射殺された息子の墓参のために十二歳の女の子と二人連れで「村」にやってきた母が描かれる。ここでも貧窮と絶望が充満している。応対した「神父」は火曜日の昼寝の時間を使ったのである。

「最近のある日」(桑名一博訳、1959):モグリの歯医者、ドン・アウレリオ・エスコバールが村長(中尉)の歯を抜く話。「中尉、あんたはこの歯でわが方の二十名の死者の償いをするんだ」。

「この村に泥棒はいない」(安藤哲行訳、1960):二十歳になったばかりのダマソは身重の年上の妻・アナと暮らしている。必死の覚悟で「村」の玉突き場に泥棒に入るが、手に入れたのは玉突きの球が三つだけだった。玉突き場の主人(ドン・ローケ)は大金が取られ球も貴重なものだと言いふらす。いっぽう映画館では黒人が容疑者として逮捕される。

「バルタサルの素敵な午後」(桑名一博訳、1960):バルタサルは二週間かけて、本業の大工仕事そっちのけで素晴らしい鳥かごを作った。金持ちのホセ・モンティエルの息子・ペペ君と約束したからだった。内妻のウルスラはこの鳥かごを高く売れると思い、実際に医者のヒラルド博士たちは買いたいと申し出るのだが、バルタサルは断る。

「失われた時の海」(木村榮一訳、1961):トビーアスは海から漂うバラの香りに気づく。同じ年、アメリカ人の自称「世界一の大金持ち」、ハーバート氏が村へやってきた。彼は資本主義の象徴のような人物であり、村人に夢と破滅をもたらす。トビーアスはハーバーと氏と海の底に潜り、「死者たちの海」を見る。幻想的作品。

「モンティエルの未亡人」(桑名一博訳、1961):ホセ・モンティエルが死んだ。彼は反対派一掃の命を受けていた町長と結託し町の富を欲しいままにしていた。「政治的な問題で人を殺したりする、そんな野蛮な国に住むことなんかできません」とパリにいる娘は一人残る未亡人に書いてよこす。最後にママ・グランデも登場する。

「造花のバラ」(桑名一博訳、1961):ミナは盲目のおばあさんと同じ部屋で暮らしている。おばあさんはミナの行動を千里眼のように見通す。ミナはトリニダッドといっしょに造花のバラを作っている。「悪い時」からのスピンアウト的小品。

「ママ・グランデの葬儀」(安藤哲行訳、1961):「マコンド王国」に「九十二年間にわたって統治者として」君臨したママ・グランデが他界した。「共和国大統領」や「法王」までもが葬儀に列席する巨大な権力と統治法が意図的な誇張法を持って描かれる。この作品で作者はその後の飛躍を準備したのではないかと思う。

「悪い時」(高見英一訳、1962):悪口のビラが戸口に何者かによって貼り出された。中身は町のすべての人たちがほとんど事実として覚えているスキャンダルである。セサル・モンテーロは中傷のビラを見て、楽士パストールを射殺する。武力を掌握する町長(中尉)、無力なアンヘル神父、酒色に溺れているアルカディオ判事、「反対派」だったヒラルド博士など多数の人物たちがビラに翻弄される。犯人はわからない。ついに町長は夜間外出禁止令を実施し、むき出しの暴力で事態を沈静化させようとするが・・・。なおこの作品はスペインの出版社から刊行された。


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