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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2008020003 マーク・トウェイン まぬけのウィルソンとかの異形の双生児 1894 アメリカ 彩流社

評者:発起人    評価:8  読了日:2008/02/10  公開日:2008/02/11

物語の面白さに満ちたマーク・トウェインの双子(?)作品

  当サイトで3冊目となるマーク・トウェイン(1835-1910)作品、原著は1894年に出版された。翻訳は村川武彦、彩流社という出版社から出ている「マーク・トウェイン コレクション 全20巻26冊」の巻頭を飾る一冊である。

 書名を見るとひとつの作品のように見えるが実は『まぬけのウィルソン』と『かの異形の双生児』という別の作品である。このあたりの事情はトウェイン自身が『かの異形の双生児』の冒頭部分で説明している。最初『かの異形の双生児』として書き始めた作品の登場人物だった「まぬけのウィルソン」たちが書いているうちに活躍しだして、異形の双生児(アンジェロとルイージ)たちが脇役になってしまった。

「欠点は、・・・・笑劇と悲劇の二つの話が一体となっていること・・・」。「それで私は、笑劇を引き抜いて悲劇を残した」。

 残された悲劇が『まぬけのウィルソン』であり笑劇が『かの異形の双生児』である。したがって場所(ミズーリ州の小さな町、ドーソンズ・ランディング)や人物、事件やエピソードは両者で共通するところが多い。現代日本ならどちらかを「スピン・オフ」作品などと言うのかもしれない。

 さて悲劇として分離されたという『まぬけのウィルソン』では、さまざまなプロットやテーマが展開される。

 たとえば黒人差別である。この作品が想定している1830年から1853年ごろのミズーリ州の黒人たちにとって「川下へ売られる」(=南部へ売られる)のは最大の恐怖だった。しかも黒人の定義は本作で重要な役割を果たすロクサーナ(ロクシー)が見た目は白人以上に白人なのに1/16黒人の血が入っていることによって黒人扱いされ、彼女の息子(黒人の血は1/32!)も同様なのである。

 「氏か育ちか」というべきテーマもある。『王子と乞食』(1881)を思い起こさせるが、私が読む限り、そのような観念にとらわれていること自体をトウェインは批判しているように思われる。氏でも育ちでもなく大切なのは行動である。

 アメリカの草の根民主主義というテーマもある。この国で根を下ろした選挙制や陪審員による裁判制度など、現在行われている米国大統領選(予備選挙)にも通じるような雰囲気が読みとれる。

 そして何より指紋がこの作品では重要な役割を果たす。指紋によって冤罪が覆るのである。科学技術の国アメリカなのである。

 またトム・ドリスコル(ロクシーの息子)の心理・性格描写は圧巻である。(他の登場人物たちが薄っぺらに感じられるほどである。)

『かの異形の双生児』では『まぬけのウィルソン』では脇役に押しやられたアンジェロとルイージの双子が主人公であるが、この作品では二人は胴体と脚を共有している。性格や信条が対照的な二人はドーソンズ・ランディングの人たちにさまざまな波乱を巻き起こす。

 現代の観点から見ると差別的視点も散見されるが、どちらの作品も結末が容易に予想されても、ふん、それでそれで?と読んでしまう「お話」の面白さと鋭い人間・社会風刺に満ちている。付録の「まぬけのウィルソンのカレンダー」での箴言も面白い。

 たとえばさまざまな組織や共同体で「一致協力して」などという連中には、

「みんなの考えが同じであるのがいちばんいい、などということはない。競馬が存在するのは、意見の相違によってである。」という言葉を返してみよう。(心の中でつぶやこう!) 


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