感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2007110001 夏目漱石 倫敦塔・幻影の盾 他五篇 1906 日本 岩波文庫

評者:発起人    評価:7  読了日:2007/11/05  公開日:2007/11/05

近代日本文学誕生の瞬間に立ち会える夏目漱石の第一短編集

  このようなサイトで好き放題に古今東西の本についての感想文を書き散らかしているわけであるが、こんなことができるのももちろんインターネットや技術の進歩ということはあるが、夏目漱石(1867-1916)がいたからである。

 この国民的作家が現代にまで続く小説や評論の文体を創り出したからである。他にも貢献した作家や評論家は多数いたかもしれないが、私のような一介のサラリーマンがそんなに苦労しないで読めるのは漱石以降の作家である。これがたとえば樋口一葉となると、幸田露伴となるともうこれは近代日本文とはかなりの乖離があり、21世紀に生きる人間の感性とは共有できない部分 も増えるのである。

 偉大なのは文体だけではなくその中身であることは言うまでもない。

 しかしいかに漱石と言えども最初から現代にまで残る名作の数々を生み出したわけではない。この岩波文庫版『倫敦塔・幻影の盾 他五篇』はもともと1906年に『漾虚(ようきょ)集』として出版されたもので、1905年に出された『吾輩は猫である』の上巻に続く漱石単行本第二冊目である。

 江戸文化の環境、漢文学の素養に英文学の研究を経た当時の最高級知的エリートであった漱石が新しい文学を創造していた時期の作品集であるから楽に読めるというわけにはいかない。いまだ前時代を引きずっている。さらに言ってしまうと読んで すらすら面白いというまでにはいたらない。

 それにもかかわらず、感動するのは当時の漱石の知的・文学的格闘の後が読み取れるからだろう。

「倫敦塔」と「カーライル博物館」は1900-02年のロンドン留学の体験をもとにしているがいずれも著者の視線は過去の世界に自由に飛翔している。

「幻影(まぼろし)の盾」と「薤露行(かいろこう)」はアーサー王伝説などの騎士伝説に基づいた作品である。 欧州文学と日本語の関係に苦心のあとが見える。当時の読者はどのようなイメージを抱いてこれらの作品を読んだのだろう。

「琴のそら音(ね)」と「趣味の遺伝」の設定は漱石の同時代であり、いちばん読みやすい小説らしい体裁を整えている。

「一夜(いちや)」では女ひとり、男二人が牽制しあって過ごす夜を描いたもので、なんとも言えない微妙な心理がこの三人の登場人物を支配している。

 時代背景としては日露戦争(1904-5)での勝利によって日本が帝国主義列強の植民地争奪戦に本格的に参戦し、多くの国民が浮かれていたときである。しかしあくまでも文学者・夏目漱石の目は冷静であり、諧謔とユーモアに 満ちている。(「趣味の遺伝」にもっとも明瞭に読み取れる。)

 文学は役に立たないものの代名詞として引き合いに出されることもあるが、初期漱石の格闘なかりせば、日本の近代はさらに暗く陰鬱 で軽薄なものになっていたに違いないと思う。


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