感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2007100002 中島義道 〈対話〉のない社会 思いやりと優しさが圧殺するもの 1997 日本 PHP新書

評者:発起人    評価:5  読了日:2007/10/03  公開日:2007/10/07

言葉の無力化はさらに進行したか 中島義道の10年前の本

 当サイトを公開してからも6冊目、以前に読んだものを含めると私にとっては11冊目の中島義道(なかじま・よしみち、1946-)である。

 大学の教室で「私語」が止まない。「私語」を禁じると今度は誰も質問もしない、つまり言葉が死んでしまう(「死語」)。

 いっぽうで街には「アアセヨ・コウセヨ」という言葉が氾濫している。著者は丹念に街の標語類を収集する。

 たとえば、

「寝るタヌキ 降りるときには 人に化け」などである。

 さらには標語や「注意」だけではなく駅や公園では大音量での放送がある。

「・・・公共空間において(警察、消防署のみならず、町内会、商店会、社長、校長などを含む広い意味での)「お上」が一方的に不特定多数の者に対してメッセージを送る暴力なのだ。」

「・・・われわれ日本人は、「お上」の言葉に疑問をもたないように、みずからを鍛えあげたからである。」

 うん、その通り!それでどうすればいいのか、ということで著者は〈対話〉の重要性を説くのである。わざわざ〈〉に入れているのは「哲学的対話」を示すためであり、それは「各個人が自分固有の実感・体験・信条・価値観にもとづいて何ごとかを語ることである」。

 理想的にはプラトンの対話編のような対話をイメージしているようである。

 しかしこの国には〈対話〉を圧殺する風土がある。だから著者もいくら孤軍奮闘しても無理だろうなという感じは持っていたようである。

 本書が刊行され10年経過して、どうなったか。役所などの標語類は予算の関係からか少なくなったような気がするが替わりに企業のしゃれた広告が目につくようになったように思う。しかし本質的なところでは中島先生の指摘どおりで何も変わってはいない。

 いや事態はいっそう悪化しているように見える。言葉はどんどん無力化している。いちいち怒ってみても疲れるだけである。中島先生が勧め、実行しているように私などが行動しても世間や社会から排除されるだけである。

 だからくだらない社長の話でも神妙にあるいはときには愛想笑いを浮かべて聴くふりをしなければならないのである。そしてその社長もかつてはそうしていたのである。

 情けない国、いやあくまでも私=自分が情けないのである。


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