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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2007070002 | 阿満利麿 | 日本人はなぜ無宗教なのか | 1996 | 日本 | ちくま新書 |
評者:発起人 評価:6 読了日:2007/07/06 公開日:2007/07/07
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無宗教ではなぜいけないのか? |
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題名になっている問い自体が最初から否定されることを前提にしている。つまり日本人は無宗教ではないという答えを含んでいる問いのように思われる。 無宗教はいいことではない、でもほんとうに日本人は各種調査で示されるように無宗教なのか?いやそうではない、宗教には「創唱宗教」と「自然宗教」があり、たしかに前者はほとんどの日本人に忌避されているが後者は日常生活の中に溶け込んでいるというのが著者の答えである。 「創唱宗教」とは「教祖と教典、それに教団の三者によって成り立っている宗教」であり、「キリスト教や仏教、イスラム教であり、いわゆる新興宗教もその類」だという。これに対して「自然宗教」は「教祖や教典、教団をもたない」。「・・・自然に発生し、無意識に先祖たちによって受け継がれ、今に続いてきた宗教のことである。」 それではどのようにして「創唱宗教」が忌避され、「自然宗教」が宗教だと認識されないほど日常生活に溶け込んでいる現代日本人の心性が形成されてきたのか?歴史をさかのぼって数々の実例から、また著者自身の調査からこのことを実証しようとしたのが本書である。 井原西鶴、「葬式仏教」、江戸時代初期の儒教そして何よりも明治維新後の神話を利用した天皇崇拝に基礎を置く「国民国家」化が記述される。また他方で現代でも顕著に残るさまざまな「自然宗教」を柳田国男などの民俗学の文献や著者の調査などであげていく。 著者の阿満利麿(あま・としまろ、1939-)はNHKのチーフ・ディレクター、明治学院大学教授などを歴任し現在は『THE EASTERN BUDDHIST』編集長。 「「無宗教」という以上は、日本における本格的な「無神論」の系譜も、尋ねる必要があるということはいうまでもない。」と著者も書いているが、無宗教でどこが悪い?宗教が「創唱」であれ、「自然」であれ、そういうものが無くては人間はやっていけないのかという点に私=発起人は興味がある。 浄土真宗に清沢満之(きよざわ・まんし、1863-1903)や高木顕明(1864-1914)などの宗教家がいて、「俗諦」に対する「信諦」の立場を貫き通そうとしたことははじめて知った。 |