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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2007060007 | 遠藤周作 | キリストの誕生 | 1978 | 日本 | 新潮文庫 |
評者:発起人 評価:7 読了日:2007/06/30 公開日:2007/06/30
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最後まで残るイエスのふしぎと「神の沈黙」 |
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大多数の人間は弱い存在である。自己の生存のためにはもちろん、生活(衣食住)のため、快楽追及のため、名声のため、他者を見捨てたり自己の信念を捨てたりするのである。 イエスが十字架上で殺されたとき、それまで付き従っていた弟子たちはイエスを否認し、自分たちの安全と引き換えにイエスを裏切った。にもかかわらず、イエスはすべてを許した。 「父よ、彼等を許し給え。彼等、その為すことを知らざればなり」と父(=神)へ取りなしたのである。 これが事実であるかどうかはもちろんわからない。福音書の筆者(初期教団の指導者たち)が書き残した言葉である。 イエスが殺されたときから、弟子たちの苦悩が始まった。今まで付き従ってきたこの現実的には無力であった男の言葉を思い起こし、再解釈を始めたのである。 「怒りの神」・ヤハウェへの絶対的な帰依、生贄、律法の遵守を要求し、強烈な選民意識に基づくユダヤ教から世界宗教へのキリスト教への転換の過程を描いたのがキリスト教信者でもあった小説家、遠藤周作(えんどう・しゅうさく、1923-1996)が『イエスの生涯』(1973、新潮文庫)から5年を経て出版した本書である。 無信心者の私にはイエスの復活、そして再臨などを字義通り信じるわけにはいかない。汎神的風土にある日本人とキリスト教の問題について考え抜いた作者も私のような読者に配慮してか本書では「復活」については個々の弟子や信者たちの宗教的体験であるとさらっと触れられているだけである。 イエスの死後、原始キリスト教団内部でさまざまなイエス解釈が生まれ、派閥間の妥協や対立・論争が生まれ、その中から従来とはまったく異なる世界宗教への発展の基礎が作られた過程を、残された文書や伝承に小説家の想像力を駆使して叙述する作者の腕はさすがである。 キリスト教への態度にかかわりなく、自己の生き方と重ね合わせて読ませる力を持った作品である。ペトロ、ポーロ(パウロ?)などの初期教団指導者たちの物語としても十分面白い。 イエスの刑死後も、教団への弾圧、殉職者の続出があっても、「神の沈黙」という事態は変わらなかった。にもかかわらずイエスを神の子とし、復活と再臨を信仰する人々がいたのである(今もいるのである。)。 言葉では説明不能である「X」が最後まで残るということを作者は最後に述べている: 「その神秘こそ今度も私の書きえなかった「彼とその弟子の物語」のXなのである。」 |