感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2007040009 池上俊一 魔女と聖女 1992 日本 講談社現代新書

評者:発起人    評価:6   読了日:2007/04/30  公開日:2007/04/30

女性恐怖と女性崇拝が魔女と聖女を生んだ−現代にも通じる呪縛

 とにかく女性とは不可思議な存在である、と思うのは私が男性でありかつ無知であるためであるが、今までの支配的な文化・教育の視線が男性のものであるということも影響しているのである・・・と、そんなことを考えさせるのが本書である。

 ヨーロッパを吹き荒れた魔女狩りについては、森島恒雄 『魔女狩り』(1970、岩波新書)を読んだときに、いったいなぜこのようなことがまかり通ったのか今ひとつよくわからなかった。

 本書は私の魔女狩りについて新しい視点を提供してくれた。つまり、当初は民間伝承だったものが悪魔学として体系化されたということ自体が一種の脅迫観念となって不合理極まりない魔女狩りを正当化したというのである。ここには教会やアカデミックな権力(=男性権力)による女性理解がかかわっているのである。つまり女性恐怖である。

 しかし、著者の池上俊一(いけがみ・しゅんいち、1956-)はどちらかというと高尚とはいえない(男性の)好奇心から見られることの多い(と私は思う)魔女・魔女狩りについて概観したあとすぐに同時期に欧州で現れた聖女について触れている。

 聖女とは何か?ひと言で説明するのは難しいが、こちらは魔女の対極概念にあるような存在で神やイエスと直接つながろうとした女性たちである。女性の立場から神に近づくということになれば、イエスとの合体幻想も生まれる。また女性たちだけではなく、イエスの母であるマリア信仰、ひいては聖家族イメージが女性たちから男性にも広がっていった。こちらはしたがって女性崇拝の系譜につながっていく。

 魔女−女性恐怖、聖女−女性崇拝という捕らえ方は単純過ぎるだろうが、本書の後半では欧州中世での女性の文化、法的地位、経済活動などの例を挙げて、従来当然のことのように思われてきた女性の実態の多くが事実ではないことが述べられている。

 このような女性恐怖と女性崇拝は「古代以来のキリスト教固有」のものであるという。しかし、キリスト教的世界観が現在も支配的であるのなら、私や現代日本に生きる男性たちも同様の恐怖と崇拝の狭間の中で女性を差別するという構造を再生産しているのだろうか。そんな気もする。

 本書が世に出てすでに15年、この間に一般的に「女性史」と呼ばれている分野でどのような発見や展開があったか、とくに日本ではどうであったのか、気になるところである。


作家別一覧:  1 2 3 4 5 6 7 8

刊行年別一覧: 1 2 3 4 5 6 7 8

Home