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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2007040007 | 佐藤友哉 | 1000の小説とバックベアード | 2007 | 日本 | 新潮社 |
評者:発起人 評価:5 読了日:2007/04/23 公開日:2007/04/25
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二十七歳の新鋭作家が書いた小説についての小説−でも楽屋落ちはほどほどに |
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とにかく近ごろでは小説などを真面目に読んでいる人はめっきり減ってきた。ほかに娯楽はたくさんあるし、過去学校などを支配していた教養主義的な呪縛も崩壊している。 小説家も、というか小説家こそがこの小説離れをいちばん痛感しているのだろう。本書の著者、佐藤友哉(さとう・ゆうや、1980-)もこの年齢にして小説についての小説を書かざるをえなかったのか。 二十七歳の誕生日、「僕」(木原)は会社をクビになった。「僕」が勤めていたのは「小説」ならぬ「片説」を生産する会社である。依頼者が会社に注文をし、「僕」などの従業員=「片説家」が執筆するのである。 意気阻喪しているところに現れた女、謎の女配川ゆかりは「僕」に「小説」執筆を依頼する。そして失踪した妹のたつえを捜し出しその「小説」を読ませて欲しいという。 「僕」は「小説」執筆は引き受け、たつえ捜索は知り合いの探偵・一ノ瀬さんに依頼する。 しかしどうやらこの世には「やみ」と呼ばれる連中がいるらしい: 「小説家が書くものは媚薬にして毒薬。片説家が書くものはサプリメント。やみが書くものは麻薬。」と小説に縁のない探偵の一ノ瀬さんはまとめてみせる。 見るだけで絶頂に達する力を持ったDVD(エロじゃないよ)を送りつけてきたたつえがいっしょにいるという『日本文学』とは何者?バックベアードとは?「1000の小説」とは? かつて文豪がよく止宿した山の上ホテル、「僕」が監禁された京王プラザホテルの地下にある巨大図書館からの脱出劇、新宿紀伊国屋書店での活劇などのプロットの展開の合間に、小説にかかわる雑学が散りばめられている。(テストまである。) 「僕」は、小説一般へのそして「僕」の才能への不信と信頼の間を揺れ動いているように見えるが、最後には小説の未来に賭ける自身を肯定している。 しかし二十七歳でこんな楽屋落ちというか楽屋裏公開小説を書いていては将来が心配だ。(ほかの作品は読んだことないけど・・・) もっとも自由な文学でもある小説だから何をどのように書いてもいいのだろうが、残念なことにこの作品を読んで小説の未来を信じる気にはなれなかった。 作者の意志表明のようなものはおぼろげながら伝わってくるのだが、消費者=読者は生産者=作家の事情などにはあまり興味がないものなのである。 |