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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2007030004 | アーサー・C・クラーク | 渇きの海 | 1961 | イギリス | ハヤカワ文庫SF |
評者:発起人 評価:5 読了日:2007/03/16 公開日:2007/03/16
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近未来ハードSFの難しさを示す作品 |
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気象庁が桜の開花宣言予測を修正したというニュースがあった。たかだか数週間未来の出来事を予測するのも難しいのである。ところがSF作家の場合は通常もっと長期の変化を作品の中に組み入れる。 それがたとえば千年後を想定していれば読者はその予測の的中度合いを知ることはできないので何を書いても面白ければいいではないかということになる。やっかいなのはいわゆる近未来を舞台にした作品の場合である。 アーサー・C・クラーク(1917-)が1961年に発表した本書は明記されていないが2040年前後を想定している。この世界では月にはかなりの規模の都市があり、月で生まれた世代も大人になっている。月には観光局があり(ほとんどが)裕福な観光客を迎え入れている。しかし現実に人類が月に到着したのは1969年だが、その後40年近く経過するが定住している人はいない。 さてその月の観光名所のひとつ「渇きの海」で観光船「セレーネ」号は事故に遭遇する。(現実には発見されていない)液体・固体の性質を持つ灰色の塵の中に沈んでしまったのだ。外界との連絡は途絶え、「セレーネ」号内の温度は上昇を始め、酸素濃度は低下する。 船長のパット・ハリスをはじめ22名の乗客・乗組員はひたすら救助を待つが、パニックや絶望が人々を襲うのがいちばん危険だ。パットにとっては試練である。 月と地球との間にある静止衛星ラグランジュ二号にいる研究者トム・ローソンは突如音信を断った「セレーネ」号の行方を探知する。月の技術部長ローレンスは大規模な救出プロジェクトの先頭に立つ。ジャーナリストのモーリス・スペンサーは特ダネをねらう。 まあ月という世界(制限)を考慮に入れなければ普通の人間ドラマが展開するのである。しかし月のことが今より知られておらず、またその後のテクノロジーの進展が十分予測できなかった1961年に書かれたがゆえに、「古いSF」の宿命である滑稽さがつきまとうのである。 クラークでさえそうなのである。 いかに近未来ハードSFが困難な分野であるかを如実に示す例になった。SFという縛りを取り払って読んでみると、うーん、テレビドラマか映画にすれば面白いかもしれないなという程度であり、登場人物も類型的であり、特別瞠目すべきアイデアもない・・・と思う。 |