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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2007020002 牧原憲夫 民権と憲法 シリーズ日本近現代史A 2006 日本 岩波新書

評者:発起人    評価:6   読了日:2007/02/03  公開日:2007/02/04

自由民権運動の意義と限界−半立憲君主制に基づく国民統合へ

 井上勝生『幕末・維新』(2006)に続くシリーズ2作目である。対象としているのは西南戦争が終わった1877年から大日本帝国憲法が発布された1889年、第一回帝国議会が開かれた1890年ごろまでである。

 著者の東京経済大学助教授・牧原憲夫(まきはら・のりお、1943-)は「はじめに」でこの本のテーマを明らかにしている:

@ 諸勢力の理念・利害が錯綜するなかで帝国憲法体制がどのように形成されていったか

A 政府・民権運動・民衆の三極の対抗、とくに民権運動と民衆との関係

B 社会の近代化が人びとの生活や意識にどのような変化をもたらしたか

C 「文明的」という価値基準が北海道・沖縄を含むこの時期の対外政策のなかでいかに機能していたか

D 「文明的」と「日本的」は相互補完的であり、近代天皇制と帝国憲法体制はその両面をもつことで国民統合の機能を果たしたのではないか、そうした仕組みはどのようにつくられたのか

 全国各地で大きな盛り上がりを見せた自由民権運動は中身も一様ではなかったが、日本史上はじめて権力者以外の参加者が独自のプログラムを提示して政治や国家の構想を示し、実現のために運動したという点では画期的であった。共通する要求は議会開設であり、さまざまな憲法草案も作られた。実際の運動には新聞と集会が大きな役割を果たした。

 民衆は漠然とした反政府的感情によって自由民権運動を大枠では支持した。政府部内では天皇親政派と複雑に対立・妥協しながら伊藤博文らの近代国家体制を目指すグループが主導権を保ち自由民権運動と対立した。

 ところが、結果だけを見ると自由民権運動は敗北し、あるいは政府に取り込まれ、半立憲君主制(憲法で規定されていない国家機関が多く存在したのである)とも呼ぶべき帝国憲法体制が成立した。

 民衆は国家権力に半ば自発的に統合されていった。民衆と自由民権運動は結局一体とはなれなかった。民衆は万世一系神話とそれに基づく教育によって、また経済的・法的な力によって「国民」となった。北海道や沖縄などは日本帝国に「併合」され、「先住民」たちは土地や住む場所を奪われ、自由を制限された。

 もちろんこのような見方は後知恵である。しかし大日本帝国の敗北をはさんで21世紀になっても、この国の「民衆」の政治的自発性の低さは目を覆いたくなる惨状を呈しているように思われる。今の日本に大日本帝国憲法はないが、自由民権運動もないのである。

「国民国家と競争社会のなかで、「欲望喚起」の仕掛けにとらわれながら生きている」われわれにとって「この枠組みの形成期を生きた人びとの歴史的経験は、たんなる過去の問題でも他人事でもないはずである。」(p206)

 さて、シリーズBは原田敬一 『日清・日露戦争』らしいが、まだ出版されていないようだ。


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