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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2006110001 | マリオ・バルガス=リョサ | フリアとシナリオライター | 1977 | ペルー | 国書刊行会 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2006/11/12 公開日:2006/11/12
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十八歳の「僕」の恋と夢/抱腹絶倒のラジオ劇場が交錯する? |
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全体が20章に分かれているが最後の19章、20章を除く奇数章はまだ18歳でリマの大学生の「僕」のもとに現れた、年上で離婚したばかりの美しい「フリア叔母さん」(義理の叔母さん)との恋、そしてバイト先のラジオ局で知り合った「天才シナリオライター」ペドロ・カマーチョの行動が描かれている。どちらも隣国ボリビアからやってきた。 さまざまな困難、周辺の反対や問題を解決して結婚へ突っ走る「僕」。いっぽうペドロ・カマーチョは休むことなくラジオ劇場のシナリオを書き、演出し、録音に立会い奇行をエスカレートさせていく。人気は高まるばかりだが、しだいにそのシナリオは文学上の実験と思われたものから支離滅裂なものに変わっていく。人物が交錯し、死者は何度でも蘇り、名前や役割が混同され、番組間でストーリーが錯綜し、毎回カタストロフィーを迎える。 偶数章はこのペドロ・カマーチョが書いたラジオ劇場のシナリオ9編である。それぞれが荒唐無稽だが、いかにもペルー的(と思える)な破滅的展開とお笑い(ユーモアではない)に満ちている。 現代ラテンアメリカ文学の旗手的存在であるマリオ・バルガス=リョサ(1936-)が1977年に発表したこの作品には自伝的要素が濃厚である。実際に作者は18歳のときにフリアという名前の義理の叔母と結婚している。しかしタイトルのもうひとつの名詞、シナリオライターであるペドロ・カマーチョなる愛すべき天才(?)にモデルがいたのかどうかはわからない。 いずれにせよ「人物再登場」や意図的な(?)時制の破壊や作中作はこの作者のお得意の手法であり、ペドロはそうした作者が自己を戯画化して創造した人物であるのかもしれない。フリア叔母さんにしても実際はこの小説のとおりだったと素直に信じることもできないし、ペドロの圧倒的存在感を前にすると少々平板で霞んでしまうのである。(実際の作者はこの作品に書かれているように8年後に離婚している。) 二段重ねどころか、十段重ねのサンドイッチのような抱腹絶倒の物語と、十八歳だからこそ持ちえる夢や世界への希望が素直に表現されている青春小説のような部分とが絶妙の味わいを与える傑作である。 ペルーに一度も行ったことのない私には、またこの国の歴史や文化の知識に乏しい私にはこの小説の細部まで十分楽しめたとは言えないが、そのようなことを差し引いても物語世界に入り込めるのは、この作品が同時代の世界文学レベルに達しているからなのだろう。 |