感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2006100004 桐野夏生 グロテスク 2003 日本 文春文庫

評者:発起人    評価:9   読了日:2006/10/23  公開日:2006/10/27

対称的な二人の街娼はなぜ殺されたか−名門「Q学園」の超階級社会ぶりも読みどころ

 いじめがニュースを賑わせている。いじめを苦にして自殺した生徒の教師が責められている。なぜこのようなことが連綿と続くのだろう?

 桐野夏生(きりの・なつお、1951-)の本書では、太古の海で互いに生存競争に明け暮れていた奇妙な、今では存在しない動物たちのイメージが語られる。人間はひとつの種である。しかし、社会という海の中で生き延びるためにはいじめの対象(敵)を見つけ出しては排除し、自分が多数派であることに安心し、あるいは少数派であってもひとつのグループに属していることに安定感を求めて生きていこうとする。

 そこから排除されたものは何か自分のよりどころを見つけるしか、破綻を避ける方法はない。

 語り手の「わたし」はスイス人の父親と日本人の母親の間に生まれたが平凡で東洋的な容貌である。ところがひとつ年下の妹の「ユリコ」は「怪物的」な美貌を持っていた。「わたし」は受験勉強を勝ち抜き、名門Q学園に高校から入学した。スイスに帰らなければならなかった両親やユリコから離れて暮らそうとしたのである。

 「悪意」で身を固め、Q女子校の中の超階級社会で自分の居場所を探そうとする「わたし」は同じ高等部からの入学者で「努力」に絶対的価値を置く佐藤和恵や中等部からの入学者で成績が常にトップの「ミツル」と出会う。「わたし」はこの二人を冷ややかに眺め観察していたが、スイスにいた母親が自殺したためにユリコが帰国子女枠でQ学園に転入してきた。

 悪魔的美貌ですべての男を虜にする天性の娼婦であるユリコはこの学園の中の人間関係にも大きな波瀾をもたらす・・・。

 Q学園時代から二十年以上経過して、ユリコも佐藤和恵も殺人事件の被害者になっていた。容疑者として中国人チャンが逮捕され公判が開かれる。ユリコの悪魔的美貌は衰えむしろ醜悪さが目立つようになっていた。佐藤和恵は日本最大の建設会社の総合職でありながら渋谷の裏通りで客をとる街娼になっていた。ユリコと和恵は同じ場所で客を取っていたのだ。

 なぜ対称的な二人が同じような死を迎えたのか?東大医学部に進学したミツルは?そしてユリコの姉であるということが自分を規定していたような生き方をしてきた「わたし」はどうなっているのか?チャンはどのようにして生きてきたのか?

 ユリコやチャン、和恵のモノローグ(日記など)を挟みながらしだいにユリコや和恵の死の真相が(立体的に、そして多くのズレを残して)明らかにされる。そして今生き残っている「わたし」はどのような生き方を選んだのか?

 もちろんこの小説の登場人物たちのような人間は非常に特異で極端である。「突然変異」である。このような性格・人物設定や醜悪な描写を嫌う人もいるだろう。だがこれらの登場人物たちの心性を、欲望を全面否定できるほど私は正義感にあふれているわけでも善良であるわけでもない。

 この本がいわゆる東電OL殺人事件(1997年)に触発されて書かれたことは間違いない。しかし、なぜエリート総合職が渋谷で街娼をやっていたのかなどという週刊誌的興味を満足させるレベルをはるかに超えて、人間の醜さ、美しさ、狂気をグロテスクな設定を借りて描くことに成功した傑作となった。(第31回泉鏡花文学賞受賞)

 特に二重生活が、自分が壊れていくさまを和恵自身が語った部分は傑出している。

 ちなみに山田宗樹が美人教師の転落の軌跡を描いた『嫌われ松子の一生』(2003)にも、この作品にも参考文献のひとつとして佐野眞一『東電OL殺人事件』(2000、新潮社)があげられている。どちらがこの事件を十分消化して優れた作品を生み出したかは言うまでもない。


作家別一覧:  1 2 3 4 5 6 7 8

刊行年別一覧: 1 2 3 4 5 6 7 8

Home