感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2006080008 内田隆三 ミシェル・フーコー 1990 日本 講談社現代新書

評者:発起人    評価:6   読了日:2006/08/25   公開日:2006/08/28

フーコー入門の2冊目−フーコーはいつ読む?

 フランスの思想家、ミシェル・フーコー(1926-84)の本を私は一冊も読んだことがない。それなのに中山元(なかやま・げん、1949-)の『フーコー入門』(1996、ちくま新書)をすでに3年以上前に読んでいる。

 その感想文でフーコーを直接読むしかないななどと書いた私は『狂気の歴史』(1961)に挑戦したのだが、現在この本は私の枕元で埃をかぶったままである。

 今回読んだ『ミシェル・フーコー』(1990、講談社現代新書)を書いた内田隆三(うちだ・りゅうぞう、1949-)は東大大学院総合文化研究所教授、専攻は社会理論。中山元と同じ年生まれだが、中山が在野なのに内田は学問という権力の中枢にいるように見える。まあ、これはこの本とは関係のない話。

 さて、フーコーはともかく複雑な人だったらしい。この本には直接書かれていないが1984年に若すぎる死を迎えたとき当初発表された死因は敗血症だが実際の死因はエイズだった。

 またフーコーの信条は「常に自分自身から自由になること、自己からの離脱」、「「自己への自由」を確保することであった」(p10)と著者は述べている。彼が終始拒否したのは「自己の同一性という幻想」(p11)だった。すなわちフーコーの入門書を書くこと自体非常に難しいのであろう。

 そこで著者は「フーコーの思索をできるかぎり多様に、具体的に提示したい」(p27)として、第一章で「フーコーの思想の「特異性」」を、第二章では「フーコーが提示する「思考の歴史」の新しい見方を、第三章で「フーコーにおける「外の思考」を検討」し、第四章では「「主体と権力」の問題を取りあつかう」。

 それぞれが複雑で多様なフーコーの思想の「線分」を追ったものである。フーコーを読んだことのない私にはそれぞれはあそういうものか、うん時間と気力があれば挑戦してみたいな、いやほんとうにとつぶやくしかないのである。またこの思想家の影響が直接それとは知覚できなくてもさまざまな言説の中に表れているのではないかな、ひょっとしてなどとこれもより小さくつぶやくのである。

 さてそれでは『狂気の歴史』(1961)に再挑戦するか?それだけでは能がないので、長めの引用でしめくくりたい。

「権力の実践は、正常な性行動、善良な市民、正気ないし理性といった正しい「主体」の規格(norme)を設定し、性的な倒錯や、犯罪や、狂気を異常なものとして分割し、排除する。この権力の実践は正常/異常を分節化する「知」、つまり精神病理学、精神分析、法医学、刑事司法などの言説と結びついて行使されたのである。」(p191)


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