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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2006080003 | 三浦しをん | まほろ駅前多田便利軒 | 2006 | 日本 | 文藝春秋 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2006/08/06 公開日:2006/08/06
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便利屋コンビが事件と心の固まりを解決する第135回直木賞受賞作 |
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人間、生きているとよほどの僥倖にめぐまれない限り、それだけは触れてくれるなよ、俺も言わないからというような塊のひとつやふたつは抱え込むものである。 フロイトでは無いが自分の意識から追い出して、生きるということも十分可能である。むしろ普通はそうである。しかし、この塊=固まりは吐き出すか、同種のものを抱えている人との関わりによってしか癒されたり小さくすることはできないのである。 こんなことを考えさせる三浦しをん(1976-)の本書は森絵都(もり・えと、1968-)の『風に舞いあがるビニールシート』(2006、文藝春秋)とともに第135回直木賞を受賞した。 東京都にあるのに神奈川県に大きく食い込み、路線バスも横浜中央バス(横中)が走る「まほろ市」の駅前で便利屋を開いている多田啓介は偶然高校時代の同級生、行天春彦に出会う。どういう事情かわからないが行天は一文無しで帰るところもないらしい。 行天は高校時代は変人で通っていた。なにしろ、誰も彼が言葉を発するのを聞いたことがなかったのである。工芸の時間に小指を裁断機で切断されたときに「痛い」と発したのが唯一の例外であった。(小指は手術でくっついた。) 行天はそのまま多田の便利屋兼住居に居つき始める。そして多田の便利屋業を手伝う(ときには妨害する)のだが、その過程で出会うさまざまな事件、人々との関わりの中から多田のそして行天の過去のそうした塊=固まりが自然に読者の前に展開されていく。 とは言っても深刻さをそのまま表現することが普通は嫌われることも作者は十分理解していて、行天の破天荒というかハチャメチャな言動や便利屋の客たちとの絡み合いの中から浮かび上がらせているのである。行天の変人ぶりと存在感は圧倒的であるが、客たちも愛すべき変人たちばかりである。 多田は(基本的に視点は多田のものである)常識的な人物だが行天によって自分の「塊=固まり」をほぐしてもらうことになる。 その小説技法は小説でしか表現不能のレベルにまで達しているが、同時に絵になるかどうかというところも十分計算されている。(まあこれはどうかというセリフもないこともないが・・・。) ぜひこの多田便利軒の魅力的な二人のキャラと「仲間たち」(敵たち)にはさらに活躍して欲しい。まだ行天の謎はほとんど明らかになっていないのである。(おそらくすでに映画化かTVドラマ化の企画が進行しているに違いないと思う。) |