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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2006070002 | 齋藤孝 | 読書力 | 2002 | 日本 | 岩波新書 |
評者:発起人 評価:4 読了日:2006/07/07 公開日:2006/07/08
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読書力の復活を訴え、その技術を伝授する |
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こんな本の感想文しかないサイトを誰に頼まれたわけでもないのにしつこく続けているのに、読書についての本を取り上げたことはなかったように思う。 読書教育(?)を「売り」にしている著者の齋藤孝(さいとう・たかし、1960-)の名前は当然知っていたが、テレビに出てタレントなどといっしょに宮沢賢治の詩を、身体を動かしながら読んでいるところを見て、少々引いてしまい、今まで手を伸ばすのを控えていた。 しかし、実際にこの本を読んでみると、近頃の若者は本を読まない、これがこの国の地力低下につながっているなどと私が漠然と思っていたことと同じことを言っている。私の場合はそれはケータイが悪いとか、まあそれでもいいかどうせなるようにしかならないのだからそんな「読書立国」とまで言うなよ、そういうメッセージは若者にではなく年寄りに受けるだけだよなどと悪口を言いたくなるのではあるが、著者はあくまでもポジティブである。 読んだ本やお薦め本のリストを作ったり、本に線を引いたり、本は自分で買って古本屋に売ったりしたくないなどというのは私そっくりである。 それなのに著者はテレビなどで見ると妙に明るい。文章も一般的な本好きが使いたがるような難しい言葉は無く、文章も短い。読書はスポーツである、基礎トレーニングを続ければある程度の水準に達するなどと体育会系的なことを言う。 私としてはもう少しじとっと暗くこういうことは語って欲しいのである。少なくとも著者が薦めている作家のひとりであるドストエフスキーなどとは正反対の文体である。無駄が無く、隙が無く、きわめて「合理的」である。そうでないと若者は振り向いてくれない、それではますます本離れが進むと著者は思っているのかもしれないが、私にはわざとらしく感じられるのである。(実際この本も岩波新書の一冊であるが、今どき岩波新書を読んでいるなどという人は中高生ではなく中高年なのである。) 「読書力」は何かの「ために」つけるのではなく、読書を楽しんでいる間についてくるのであると思う。もうひとつ言えばそんなものつかなくてもいいのである。ドストエフスキーのことが語れたからと言ってコミュニケーション力がアップするとも思えない。ドストエフスキーの登場人物のようなしゃべり方をしていたら企業などでは完全に失格である。 だから著者はできるだけ多様な分野の本を読むべきだとも説いているのだが、私としては立身出世や経済発展、コミュニケーションの「ための」読書などはまっぴらごめんである。 ほんとは齋藤先生もそう考えてるんじゃありませんか? |