|
感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2006040002 | 絲山秋子 | 沖で待つ | 2006 | 日本 | 文藝春秋 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2006/04/03 公開日:2006/04/04
|
現代のプロレタリア小説?−第134回芥川賞受賞作
|
|
人間は労働する生き物である。頭と身体を酷使し、時間を拘束される。ひとりでは労働はできない。共同が必要である。共同は仲間を作る。休憩時間や労働が一段落したときには仲間でメシを食い、酒を酌み交わし、バカ話をする。 しかし労働などというものはなかなか小説のテーマになりにくい。あまりにもありふれているからだろうか。 「沖で待つ」の語り手「私」(及川、♀)は住宅機器メーカーに入社して同期の牧原太(太っちゃん)と福岡支店に配属される。最初はそうでもなかった太っちゃんはこの綽名がぴったりになるほど太る。その間二人はバブル期もバブル崩壊後も営業現場を回り、数々の失敗をやり、しかしいい仕事もやった。太っちゃんはさっさと福岡支店の先輩・井口さんと結婚するが、「私」は独身である。 やがて「私」は埼玉へ、太っちゃんは東京へ(単身)赴任となる。太っちゃんとは何でも話ができる友情に似た関係を築いていた「私」は彼とある約束をする。どちらかが先に死んだらパソコンのHDDを破壊するという約束である。 「太っちゃん」はところがあっけなくまったくの事故で死んでしまう。「私」は約束を果たすべく彼の単身赴任のアパートに忍び込むが・・・。 組合も法律もましてや思想などというものは誰も守ってくれないのである。「同期」だけが、同じ苦労をしたものだけが心を開いて気の置けない楽しい時間と思い出を共有できるのだ?(映画化するなら伊集院光主演か?) 著者の絲山秋子(いとやま・あきこ、1966-)はこの作品で第134回芥川賞を受賞した。 併録されている「勤労感謝の日」の「私」(恭子)は三十六歳で独身、母と二人で暮らし、わずかの失業手当をもらうために渋谷の職安に通う身である。近所の世話好き(おせっかい)のおばさんにとんでもない「エリート」社員と見合いをさせられる。勤労感謝の日に。ここでの「私」は失業者である。耐え切れず「見合い」の場を飛び出した「私」は呼び出した前の会社の後輩と過去を振り返る。「総合職」時代の死ぬほど働き、そして結局は捨てられた時代・・・。 どちらも会話、プロットに躍動感があって、現代の「プロレタリア」=会社員のやりきれなさに笑いをふりかけ、面白い小説にしたてあげた。 |