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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2006030003 夏目漱石 二百十日・野分 1908 日本 新潮文庫

評者:発起人    評価:8   読了日:2006/03/30   公開日:2006/03/31

漱石の拝金的資本主義への痛烈な批判二編−ホリエモンも獄中で是非御一読を

 

 この新潮文庫版には夏目漱石(なつめ・そうせき、1867-1916)の初期の二中編が収められている。

「二百十日」は「中央公論」に1906年に発表され、後に「坊っちゃん」、「草枕」とともに『鶉籠』(1907、春陽堂)に収められた。

 全編がほぼ「圭さん」と「禄さん」という二人の会話で成り立っている。二人は阿蘇山に登ろうとしている。

 「圭さん」は豆腐屋で生れ育ったという。華族や金持が跋扈する世の中を批判し、「不公平な世の中を公平にしてやろうと云うのに、世の中が云う事をきかなければ、向の方が悪いのだろう」と悲憤慷慨する。体力もある。

 「碌さん」のほうは適度に相槌を打ちながら「圭さん」に引っ張られて阿蘇山に向かう。体も弱そうである。

 嵐の中を噴火口に向かえず道に迷ったふたりは結局振り出しに戻るのだが、もう一度強烈なエネルギーを持った阿蘇山へ再挑戦することにする。

 麓の温泉宿でビールを頼んだ二人が、

「ビールは御座りませんばってん、恵比寿なら御座ります」などと「下女」が答える会話などもあって、なかなか楽しめる作品である。

「野分」は1907年「ホトトギス」に発表され、「坑夫」とともに『草合』(1908、春陽堂)に収められた。

「野分」も日露戦争後の拝金主義、貧富の差の拡大への批判は底流に流れているが、登場人物の数でも構成の複雑さでも「二百十日」のテーマをさらに深めたものとなっている。

 「文学者」であると自覚し、田舎の中学教師の職を投げ打ち、金にならない著述や雑誌編集で貧乏暮らしをしている白井道也(どうや)。かつて白井が教えていた中学校の生徒で大学を卒業したが、今では生活に追われ自信も健康も失い社会から孤立し「一人坊っち」になっている高柳周作、恵まれた環境に育ち芸術や恋愛を楽しむ高柳の同窓生・中野揮一という主要登場人物三人の関わりを軸に小説は展開する。

 特に白井の今から見れば大上段でいささか滑稽にも聞こえる道徳論・文学論・実業批判の舌鋒はしかしいよいよ鋭さを増しているのである。

「・・・金があるから人間が高尚だとは云えない。金を目安にして人物の価値をきめる訳には行かない。」と白井は演説する。

 まあこんなことは誰でもわかっていることかもしれないが、小菅にいるホリエモンなどは百科事典もいいが一度読んでみる価値のある作品である。ただ忘れてはならないのは、この二編の主要登場人物たちはみな大学(東京帝大)の卒業生であり、ホリエモンの先輩たちなのであるが現在とは比較にならないエリートだったのである。それなのになぜふさわしい評価を受けないのかという怨嗟の感情が白井先生にも皆無とは言えないと感じるのは私だけだろうか。

 金にならない文学、いや文学とは金とは無縁のものなのであるという現在にも広く膾炙している観念の原型がこの作品には明瞭な形で表れている。


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