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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2006020002 | 石牟礼道子 | 苦海浄土 わが水俣病 | 1969 | 日本 | 講談社文庫 |
評者:発起人 評価:9 読了日:2006/02/12 公開日:2006/02/14
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殺され棄てられ忌避された者たちと共鳴した希有の文学
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水俣病−熊本県のチッソ水俣工場から垂れ流された有機水銀が周辺の海を広範囲に汚染し食物連鎖で漁業で暮らしを立てていた人たちを中心に多数の死者と回復不能の中毒症状を引き起こした公害病−現代の私たちならそう「割り切る」ことができる。 しかしこの「奇病」、最初は原因が特定されず、特定されたあともデータが隠蔽され、患者たちは犯人であるチッソからだけでなく、経済効率や雇用機会を奪う者たちとして「市民」からも忌避されたのである。これはチッソ側に加担した保守政治の側だけではなく、当時はまだ先鋭さを多く残していた「革新」陣営傘下の労組や政党も「運動」の効率性の観点から苦しむ水俣病患者たちと積極的に関わろうとしなかった。 著者の石牟礼道子(いしむれ・みちこ、1927-)は1969年の本作で「デビュー」を飾ったのだが、この作品の原型を書きためていた時期(1960年代)には水俣市に住む主婦であった。このルポルタージュとも言いがたく、公害糾弾の書としては「効率性」にかけるように見える本書はしかし大反響を呼び、結果として公害反対運動に大きな援軍となった。 しかしこの作品は公害反対運動の本に矮小化されることを許さない。言語機能も奪われた患者も多かった水俣病患者と著者は魂の深いところで共鳴し、文学者として患者たちの夢、空想の世界を代弁したのである。まさに苦海(くがい)の中に浄土を夢見るしかない者たちの世界を表現したのである。 そしてそれは人間のいちばん基底的な、混沌とした部分の私にも響いてくるものを持っていた。 方言を多様し、ルポルタージュ風の文体を織り混ぜ、医学的な記録を挿入し、「わたくし」の関わりを描き、水銀に汚染された海、生き物、人間の「言葉」を聴き取り、写し取ったのである。 今後も間違いなく読み継がれていく奇跡のような作品である。 |