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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2005120001 | 大岡昇平 | 俘虜記 | 1951 | 日本 | 新潮文庫 |
評者:発起人 評価:9 読了日:2005/12/03 公開日:2005/12/03
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俘虜という状態から日本人と人間の恥辱を描いた傑作
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「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」と教育された日本軍にいて、フィリピン・ミンドロ島で米軍により俘虜となった経験を持つ大岡昇平(おおおか・しょうへい、1909-1988)による小説家としてのデビュー作が1948年に発表された『俘虜記』(創元社)である。 この一連の作品は書き継がれて、『続・俘虜記』(1949)、『新しき俘虜と古き俘虜』(1951)と刊行された。本新潮文庫版はこれらをまとめた『俘虜記』(1952、創元社)を親本としている。 著者は会社員をしながら、スタンダールなどのフランス文学の研究者・翻訳者をしていたインテリである。1944年に35歳のとき召集され、暗号手としての訓練を受け、フィリピンのミンドロ島に配属される。 同年12月15日「米軍は艦船約六十隻をもってサンホセ(ミンドロ島)に上陸した。」(p7)武器も糧食もほとんど無い部隊は山中に退却し、米軍やフィリピンのゲリラに攻撃され、蔓延するマラリアに悩まされ、散り散りになり、ほぼ壊滅する。 一人になった「私」は死を覚悟し、せめて水を飲んでから死にたいと朦朧とした意識のまま彷徨う。水は手に入らない。 「 確かなのは私が米兵が私の前に現れた場合を考え、それを射つまいと思ったことである。 ・・・私は生涯の最後の時を人間の血で汚したくないと思った。」(p28) ところがすぐにこの決意を試す「機会」、つまり「一人の米兵」が現れた。相手は「私」に気づいていない。「私」は銃の安全装置を外した。ところが別の銃声の方へその若い米兵が向かって私から離れてしまったため、「私」の殺すまいという決意は最後までは試されなかった。 「私」は手榴弾による自殺を図るが不発だった。銃も捨て山野をただ彷徨い気がつくと米兵に捉まっていた。 緊張と厳密な論理的思考に彩られた「捉まるまで」(原題「俘虜記」)に始まり、病院と収容所での生活、敗戦と帰還までを描いたこの作品集を読むと、この言わば国民的恥辱体験を日本人は清算できていないのだということがわかる。われわれは今だに俘虜なのではないか? 「 すべてこうした日本人が戦争という現実に示した反応は、今日単に「馬鹿だった」と考えられている。しかし自分の過去の真実を否定することほど、今日の自分を愚かにするものはない。」(p89) 後半になればなるほど、作者の筆が俗に流れていくように感じるのはそれはそのまま敗戦後の、そしてそのような無謀な戦争を止められなかった日本人の変わらない「堕落」を写し取っているからか。 読み手に考えることを要求する傑作である。 |