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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2005110005 山口瞳 江分利満氏の優雅な生活 1963 日本 新潮文庫

評者:発起人    評価:8   読了日:2005/11/14 公開日:2005/11/15

男の哀しみと怨みをウイスキーで流し込んだ破格の小説

 

 江分利満(えぶり・まん)氏(35、おそらく1961年当時)は好景気で急成長を遂げている東西電機の宣伝部に勤めるサラリーマンである。東横線沿線の社宅に妻の夏子(34)、長男の庄助(10)と住んでいる。

 はじめは社宅暮らしや会社の有様がコミカルに描かれているだけの作品かと思って読み進むと、この平凡を強調したような名前の江分利氏が戦争成金で事業に何度も失敗した父、お屋敷暮らしと貧困の数度の浮き沈み、戦争や空襲、戦後の虚脱感の中での放蕩などを背負って生きていることがだんだんわかってくる。

 著者の山口瞳(やまぐち・ひとみ、1926-1995)と同世代として描かれている江分利は基本的に何も信じていないのである。世の中に何ひとつとして絶対的なものはないということ、偶然や境遇がほとんど人の一生を決めてしまうことを身にしみて知っているのである。

 それだから東京生まれながら大阪発祥の東西電機で遭遇する言葉や「文化」の摩擦も江分利は好き嫌いをはっきりさせた上で相対的に評価することができる。

 こんな江分利だからこれは何が無くても飲まなければならぬ。毎晩バアをはしごするのである。休日に家族と公園に行ってもウイスキーの瓶をかかえて昔の神宮球場のことを思い起こす。

「 江分利の前に白髪の老人の像が浮かびあがってくる。温顔。どうしてもこれは白髪でなくてはいけない。・・・神宮球場の若者たちは、まあ、いい。戦争も仕方がない。すんでしまったことだ。避けられなかった運命のように思う。しかし、白髪の老人は許さんぞ。美しい言葉で、若者たちを誘惑した彼奴(あいつ)は許さないぞ。神宮球場の若者の半数は死んでしまった。テレビジョンもステレオも知らないで死んでしまった。」(p214)

 文章は破格で、口語を多様し、エッセイなのか私小説なのか判然としない。気取りや文学趣味はまったくない。しかし当時の世相をリアルタイムで描きながら、哀しみを酒とともに飲み下す江分利氏の姿は2005年の私にも訴えるものを十分に持っているのである。

 著者はサントリーの宣伝部でコピーライターなどの仕事をしていたがこの作品で直木賞を受賞した。 


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