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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2005080001 太宰治 惜別 1945 日本 新潮文庫

評者:発起人    評価:8   読了日:2005/08/03   公開日:2005/08/03

戦時下に書かれた太宰治のギリギリの二作品

 

 この新潮文庫版には、太宰治(だざい・おさむ、1909-1948)が戦時下に執筆・発表した二篇が収録されている。多くの文学者がこの侵略戦争を礼賛した報国・戦意高揚のための文学を書くか、そのような状態を是とせず筆を折る状態に置かれていた時期に太宰治はギリギリのところで日本文学の水準を守り抜いたということか。

 まずは『右大臣実朝』(1943、錦城出版社)。鎌倉幕府三代将軍・源実朝(「将軍家」)につかえていた「私」が過去を振り返るという形の小説である。鎌倉幕府による(公式)歴史書『吾妻鏡』が各節の最初に引用され、それを「私」がわかりやすく語り直すという体裁を取っている。

 期間は承元二年(1208年)から実朝が第二代将軍の子で実朝からすると甥にあたる公暁(くぎょう、1200-1219)に鶴岡八幡宮で暗殺される建保七年(1219年)正月まで。

 実朝といえば、(私にはなじみがないが)『金塊和歌集』などで歌人として有名である。幕府創設者である頼朝の死後、執権・北条義時(「相州」)が徐々に実権を握り政治的な権能はしだいに制限されていったようである。(公暁による実朝暗殺の背後には義時がいたというのは定説らしい。)

 この小説の「私」の述懐によると実朝は決して政治的には無能ではなかったし、義時との関係も悪くはなかった。しかしどこか滅亡を予期していたような諦念を持っていたため、日夜陰謀に明け暮れる義時などの政治家というか軍人に対してはもともと闘う気がなかったのである。(闘う気があったとしても決して勝てなかっただろうが・・・)

 政治に対する文学の無力、それを理解しながらも政治権力の傀儡のような役割を果たしていた実朝に太宰治は自らをそして当時の滅びつつある日本を重ねあわせていたのであろうか。

「アカルサハ、ホロビノ姿でアロウカ。人も家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」

『惜別』(1945、朝日新聞社)での主人公は後の中国の文豪・魯迅である。この小説が語る時期の(1904-1906年ごろ)魯迅は、西洋医学こそが中国を救うという考えのもとに仙台医専(現・東北大医学部)に留学していた。その当時の魯迅=「周さん」、恩師の藤野先生等との交友を今では東北の老開業医である「私」が述懐するという体裁をとっている。

 この作品はもともと1943年の「大東亜会議」の宣言を小説化するために内閣情報局と文学報国会から依嘱を受けて太宰治が書き下ろしたという。このようながんじがらめの条件でよくぞここまで書いたことに私は感心したのだが、政治・文学・科学の相互関係に迷い、最後は文学を選択する(作品中の)魯迅の決意は同じく太宰治のギリギリの抵抗を反映しているものでもあるように思われる。(もちろんこんなことを魯迅が言うわけがないというような時局迎合的発言をさせているところもある。)

 欧州と異なりレジスタンスもなく、反戦運動もとっくに壊滅していた時期に、文学で勝負していた太宰治の心意気と戦術が感じ取れる二篇である。 


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