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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2005070009 | 高階秀爾 | フィレンツェ | 1966 | 日本 | 中公新書 |
評者:発起人 評価:5 読了日:2005/07/27 公開日:2005/07/27
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15世紀フィレンツェ美術の栄光と挫折を描き出す
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広く、浅くをひそかなモットーにしている私が今回挑戦したのは、美術史の本である。 著者の高階秀爾(たかしな・しゅうじ、1932-)は東大教授や国立西洋美術館館長などを務め、現在は大原美術館館長をしている美術界の大御所である。 さて美術史とは言っても、表題が示すように、これはフィレンツェの美術についての本であり、しかも15世紀のそれに焦点を絞っている。図版も入っているが新書版でもあり、すでに40年近く前に出た本でもあることからこの本の図版だけではなかなか詳しいことはわからない。しかし、美術史とか美術評論などというものはそもそもこの視覚に訴える芸術を文章で表現しようとするものなのであろう。 著者はまずまったくなじみのない人にも背景を理解できるように当時のフィレンツェ共和国の政治状況について数十ページを費やす。「クットロチェント」(一四〇〇年代)のフィレンツェは「少なくとも制度上は、ほとんど完璧に近い民主制が行われていた。」(p10) しかし、この民主制の「裏側で、さまざまの取引や策謀によって政治が行われていた。」(p12)これが有名なメディチ家による実質世襲支配体制に道を開く。その経済力と巧妙に民衆の支持を利用して(いわゆるポピュリズムか?)ライバルを叩き潰す政治力によりメディチ家はコジモ→ピエロ→ロレンツォ(豪華王)と支配を維持・拡大した。そしてメディチ家はこの時代に全イタリアを席巻したフィレンツェ美術・文化の保護者であった。(もちろん政治利用もした。) しかしこの世紀の末にはフィレンツェ自体が東方トルコ帝国、アルプス以北の欧州諸国の台頭やフランス軍のイタリア侵入により急速に影響力を失う。ロレンツォの死後はサンマルコ教会修道士のジロラモ・サヴォナローラによる「神聖政治」=宗教的原理主義に基づく独裁政治が行われたが、この体制も長く続かなかった。しかし、その後のフィレンツェはかつての栄光を取り戻すことはなかった。 このような政治状況にあったフィレンツェで美術のさまざまな領域で新様式が生まれ、これが紆余曲折と反作用をも伴いながら、次の世紀に、ただしフィレンツェ以外の場所で開花する礎を作ったということがブルネレスキ、ドナテルロ、マサッチオをはじめ多くの芸術家とその作品を例にとってさまざまな角度から分析される。 「初期ルネサンスを華やかに彩ったフィレンツェ芸術の栄光と挫折のドラマ、それが本書の主題である。」(p4)という著者の意図が実現されているかどうかは私の判断力を超えるが、なんとなくわかった気がすることは事実である。 このような本は、予算が無いかもしれないが、NHKあたりが番組にして、DVD化したりするといっそうわかりやすいかもしれない。ちなみにフィレンツェ(Firenze)は英語ではフローレンス(Florence)であるが、なぜなのだろう? |