感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2005060003 ヘルマン・ヘッセ メルヒェン 1919 ドイツ 新潮文庫

評者:発起人    評価:7   読了日:2005/06/07   公開日:2005/06/07

幼児期の幸せな時代への追憶と芸術による世界把握への欲求

 

 ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)が1919年に刊行した作品集。

「アウグスツス」(1913)。若い未亡人エリーザベト夫人は夫の死後生まれた子どもアウグスツスに、隣に住む謎の老人・ビンスワンゲルさんのオルゴールにあわせて「みんながおまえを愛さずにいられないようにと」(p14)願う。願い通りに愛される子に育ったアウグスツスだが・・・。

「詩人」(1913)。中国の詩人ハン・フォークは完全な詩人になりたいという野心に突き動かされていた。結婚もやめて、灯篭祭りの夜出会った老人、「完全なことばの師」のもとに走り秘術の取得に励む。老荘思想的(多分)一編。

「笛の夢」(1913)。父に渡された象牙の小さい笛を持って「私」は旅に出る。少女「ブリギッテ」に、それから「王さま」に出会い「私」は歌を歌い、「王さま」の歌を聴く。「引き返す道はなかったので、私はやみをついて暗い水の上を進んで行った。」

「別な星の奇妙なたより」(1915)。雷雨と地震で多くの死者を出したのに弔う花がない。ひとりの若者が志願して王さまのもとに使いに行くことになった。大きな黒い鳥に運ばれて若者が見たものは彼の世界ではすでに忘れられている戦争による死人たちだった。第一次世界大戦(1914-1918)の影響か。(ちなみにヘッセは非戦論者であり、売国奴呼ばわりされたという。)

「苦しい道」(1917)。「私」は居ごこちのいい世界を捨て、「案内人」につれられて、峡谷を攀じ登る。「私」は何のために苦しい道を選んだのか。頂上には何があるのか。

「夢から夢へ」(1916)。「私」は「美しい疑わしい婦人」のいる、「なまあたたかいサロン」にいた。「ふたりの若い男」が入ってきたのに自分はくつ下だけの姿だ。「私」は入ってきた男のひとりにスリッパで一撃を加えるが・・・。夢をそのまま記述したようなめまいのするような作品。

「ファルドゥム」(?)。ファルドゥムの町の年に一度の大市に現れた「帽子の広いふちをまぶかにさげたひとりの男」。彼は町のひとの欲するもの・ことをたちどころに実現してみせた。町でただ二人残っていた青年も男の前で願い事をするが・・・。

「アヤメ」(1918)。幼年時代に母が作っていた花でいちばん「アンゼルム」の気に入っていたのはアヤメ(Iris)だった。「アンゼルム」は長じて志望どおり教授となったが、友人の妹のイリスと結婚したいと思った。「地上の現象はすべて一つの比喩である。」(p160)ヘッセの最初の夫人マリア・ベルヌーイにささげられたという。

「ピクトルの変身」(1922)。「ピクトル」は不思議な生き物たちに出会うが、自身は「ヘビ」に言われて木に変身した。この作品はこの短編集『メルヒェン』の新版(1955)にはじめて収められたという。

 以上駆け足レビューだが、メルヒェンといっても大人のために書かれたもの。幼児期の「母」と結びついていた幸せな時代への追憶、現実世界への絶望、詩・音楽・芸術による世界の全体性把握への欲求と言えばまとめになるだろうか。

 翻訳はドイツ文学の大御所で第八代日本ペンクラブ会長(1977-81)もつとめた高橋健二(1902-1998)であるが、私には読みづらかった。(ヘー、この人は大政翼賛会の文化部長もしてたんだね。まあそれとこの訳文を私が読みづらいと感じたことは関係ないと思うのだが・・・。)

(以下蛇足) 臨川(りんせん)書店という出版社からヘルマン・ヘッセ全集全16巻(日本ヘルマン・ヘッセ友の会/研究会編・訳)の刊行が開始されている。六月末の第二回配本・第9巻にこの『メールヒェン』も含まれている。この出版社のウェブサイトによれば、新潮文庫版高橋訳と比較して題名が「アウグスツス」→「アウグストゥス」、「別な星の奇妙なたより」→「別な星からの不思議な報せ」、「アヤメ」→「イーリス」、「ピクトルの変身」→「ピクトールの変身」となっているようだ。


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