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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2005050010 白洲正子 かくれ里 1971 日本 講談社文芸文庫

評者:発起人    評価:6   読了日:2005/05/23   公開日:2005/05/23

「かくれ里」に幻視した美しい古代日本

 

 白洲正子(しらす・まさこ、1910-1998)の本を読むのはこれがはじめてである。

 日本地図と首っ引きで、またGoogleなどのイメージ検索でこの本で著者が訪れている場所や建造物の写真を確認しながら読んだのであるが、私に理解できたとは言えない。著者の持つ幅広い経験、古典芸術などの広い知識、そしてその美的感覚を私が共有していないからである。

 近畿地方を中心に、著名な観光地ではなく、あまり世間に知られていない「かくれ里」を著者は訪れ、一般的には忘れられつつある古代日本人の信仰や美を見る。その視点は歴史学者のそれではないが、それゆえにか完全な虚構として片付けるのを躊躇させるだけの力を持った文章で読者に(私にも)迫ってくるのである。

 著者が、「かくれ里」の祭り、建造物、お面、仏像、自然を通じて見るのはたとえば、古代日本人の自然崇拝的信仰が外国から来た仏教と融合する現場であり、歴史学的には実在が疑問視されている神武天皇など初期の天皇たちと征服された豪族たちの関わりであり、政治闘争に翻弄された数々の貴人たち(朝廷側)の感情である。

 ここに存在しないのは著者の美的感覚に合致しない人たちの営みである。たとえば朝廷と対立した武将・政治家の側に著者の目が及ぶことはほとんどない。(このあたり、同じ年に出ている司馬遼太郎『街道をゆく 1 甲州街道、長州路ほか』と比較してみるのもおもしろい。)

 もちろん著者は二十世紀に生きた人であり、近現代の日本歴史もまた海外生活もビジネスも知っているのである。しかし見たくないものは見えないのである。見たいものを見るのである。

 あたりまえか。結局私とは見たいものが違うということだろう。

 そうだなあ、幸福な隠退生活ができるようになれば、この本を片手に歩いてみるか。著者が歩いた場所が今でも大きく変化していなければいいのだが・・・。


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