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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2005050007 烏賀陽弘道 Jポップとは何か 2005 日本 岩波新書

評者:発起人    評価:7   読了日:2005/05/16   公開日:2005/05/16

Jポップ、その栄光と衰退を社会学的に鋭く分析

 

 Jポップ?とか言われてもなあ、ピンとこないなあ。そんなに聴くわけじゃないけどね、なんだかどれ聴いてもおんなじに感じるなあ。まあせいぜいサザンぐらいかなあ。歌詞もなあ、お説教ソングとか安っぽい純愛っぽいのが多くないか?まっとうに生きよう、わたしは生きてくみたいな歌詞が聴いてて恥ずかしくなるわけよ、おれはね。でたらめな英語の歌詞もつらいね。

 などと思いながら読んだのはJポップなどともっとも遠いところにいそうなイメージのある岩波新書の新刊である。著者のジャーナリスト烏賀陽弘道(うがや・ひろみち、1963-)は、元朝日新聞記者(かつAERA編集部勤務)であるが、私が日ごろ感じているJポップへの違和感(嫌悪感といってもいいか)の多くを「ビジネス」の面から分析・説明してくれたと思う。

 たとえば、Jポップという言葉自体がレコード会社によるマーケティングから生まれ、セゾングループなどの「全国総渋谷化」とも言うべき戦略に乗って普及したこと。

 家電メーカー(代表はソニー)の販売戦略やCD、通信カラオケなど音楽のデジタル化が音楽の媒体・消費の仕方を変えただけでなく、音楽の作り方を変えたこと。(その究極は楽器演奏なしでパソコンだけですべてを作ってしまう「打ち込み音楽」)

 テレビドラマやCMとの「タイアップ」によるビジネスモデルの成功。Jポップが世界に通用する日本の音楽という「ファンタジー」であったこと。しかし日本発の音楽は世界のマーケットでほとんど影響力を持っていないこと。

 レコード会社、テレビ局、広告代理店、スポンサー企業、芸能プロダクション等による「Jポップ産業複合体」が形成され既得権益を守り、強化する。無難な音楽が好まれ、60-70年代の反体制的な雰囲気を持った音楽は消える。政治権力へすりより、政治権力もJポップを利用する。

 98年にピークを迎えたJポップはその後衰退するが、実はそれはCD売り上げの数字であって、着メロやネット経由のダウンロードの需要は伸びている。

 消費者の側はどうなのか?

「「あるうたを聴き、歌う自分を好ましいと思うかどうか」というナルシシズム消費の中にポピュラー音楽も入ったのである。」(p155)

 そうなんだよね、そういうのが俺もいやなんだよ。いわゆる「ココロの時代」の自己表現っていうやつなんだよね。

 えっ?

「パソコン上で作成したホームページやメールマガジン、ブログを公開することで、誰でも安価に、しかも世界に向けて「自己表現」を発信できるようになった・・・」(p134)

 ・・・あー、とにかく、しかし「Jポップ」というものの産業分析としてはおそらく著者も言うように類書がなさそうであり、興味のある人は読んでみて時間の無駄にはならないと思う。


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