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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2005040008 | 鈴木董 | オスマン帝国-イスラム世界の「柔らかい専制」 | 1992 | 日本 | 講談社現代新書 |
評者:発起人 評価:5 読了日:2005/04/16 公開日:2005/04/17
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西欧からの偏見に満ちた視点を排してオスマン帝国の実像に迫る
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今や「老人文化」と化したと言われる教養系の新書でチャチャッと歴史を探る私のプロジェクト。今回選んだのは東京大学東洋文化研究所教授の鈴木董(すずき・ただし、1947-)によるオスマン帝国に関する入門書である。 当初は内陸アジアに分布していた遊牧民族であったトルコ人たちがイスラム化したのち、当時の世界情勢から見ると辺境の地であったアナドル(アナトリア、つまりいわゆる小アジア地方)に侵入し、いろいろあって十三世紀後半ごろ始祖と伝えられるエルトゥグルルが打ち立てたのがオスマン帝国である。 その当時は西北アナトリアの一角を占めているだけの勢力であったがたび重なる征服戦争で最盛期には北アフリカ、エジプト、シリア、イラク、メッカを含むアラビア半島、ハンガリーを含むバルカン半島、黒海周辺を支配する大帝国となり、その都のイスタンブール (第七代スルタン=皇帝・メフメット二世が1453年に陥落させるまではビザンツ帝国の首都、コンスタンティノープルであった)は東西交易の結節点として大いに栄えた。 ところが著者によると西欧起源のオスマン帝国の見方は、「「戦争」「征服」「略奪」といったイメージに彩られた「トルコの脅威」観」(p14)であり、「「東洋的専制の国」「文化なき征服者」「苛酷な抑圧者」といったイメージ」(p14)であった。 トルコ史研究者である著者はこの第一次世界大戦まで続いたこの帝国についてのイメージが正確なものではないということを示そうとしたのである。そのキーワードが副題にある「柔らかい専制」である。 オスマン帝国はその広大な領土のうちに人種的・宗教的に多様な世界を抱えていたが、かなり広範囲に宗教的自由も認められていた。たとえばユダヤ人に対する態度ひとつとっても同時代のヨーロッパと比較するとその寛容性は明らかである。またその支配構造や人材登用システムに開明的で柔軟なところもあったのである。 「コーランか剣か」という好戦的なイメージは額面どおりには受け取れないのである。著者は丹念に特に16世紀ごろまでのこの帝国の歴史、支配構造の変遷をたどりながら西洋的偏見にとらわれない実像に迫っている。 ああしかし人類の歴史でなんと多くの国々が現れ、消えていったことか。この本の中でもオスマン帝国との関係でハプスブルク帝国やサファヴィー朝、白羊朝(知ってました?)などさまざまな国の歴史についても記述されている。 オスマン帝国や中近東・バルカン半島などの歴史に関心があるおそらく推定2万人ぐらいの人たちだけではなく、性懲りも無く新書で「教養」を身に着けようという人たち(推定20万人ぐらい)にとっても必読の一冊と言えよう。 |