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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2005030007 ウィリアム・サマセット・モーム お菓子と麦酒 1930 イギリス 新潮文庫

評者:発起人    評価:9   読了日:2005/03/25   公開日:2005/03/25

奔放な女性・ロウジーを通じて人生の快楽を肯定し俗物を批判

 

 英国の文豪、ウィリアム・サマセット・モーム(1874-1965)が1930年に発表した作品。

 「わたし」(ウィル・アッシェンデン)は作者を思わせる作家である。同業者のオルロイ・キアがある日つい最近亡くなった、大作家と評価されているエドワード・ドリッフィールドについて「わたし」から話を聞きたいという。

 どうやらキアはドリッフィールドについての伝記を執筆しようとしているらしい。

 「わたし」は辛辣にオルロイ・キアと文壇・取り巻きをこきおろしつつ(この部分の描写が非常におもしろい)、ドリッフィールドと自分との関わり合いに思いをはせてゆく。

 「わたし」がまだ十五歳だったころ、牧師をしている伯父夫婦が住んでいるイングランド東部の田舎町ブラックステイブルに学校から帰省中(「わたし」は両親を亡くしていた)、まだ若くほとんど無名のドリッフィールドとその妻・ロウジーに出会う。

 「わたし」はドリッフィールドよりも、この土地出身だが、かつて酒場で働いていて、今でも男関係の芳しからぬ噂の耐えないロウジーにひかれてゆく。厳格で保守的な伯父夫妻はそもそも作家などという職業の人物と甥が付き合うことを好まなかった。

 しかし「わたし」にはロウジーがそのような女だとはとても思えなかったのだ。「わたし」はドリッフィールド夫妻に自転車を教えてもらったり、ドリッフィールドの家でトランプをしたりして楽しい時間をすごした。

 ある事件のために唐突に夫妻が姿を消した後、「わたし」がロンドンで医学生をしていたとき、「わたし」はロウジーとドリッフィールドに再会する。相変わらずロウジーには新たな取り巻きの男たちがいて、そして、「わたし」とも関係を持つようになってしまう。

「娼婦型女性の性的無軌道と無邪気で憎めない天衣無縫のチャーミングな女性像」などとこの文庫本のカバーには印刷されているが、まあまとめるとそういうことなのだろうが、ロウジーの容姿、言動の描写が秀逸である。

 そして実は最初から最後まで「わたし」はロウジーを、自らとの関係も含めて全面肯定しているのであり、そのことで上品ぶった文壇・社会の偽善性を鋭く批判しているのである。

 しかも作家という職業の表裏を見せるという趣で読者の好奇心を満足させつつ、自己をちゃっかり肯定しているところなどなかなか常人にできる業ではない。さすが、モームである。このあたりの手法は『月と六ペンス』(1919)に似ていると思う。(発表当時はこの小説のドリッフィールドはトマス・ハーディではないかとか、オルロイ・キアはだれそれではないかとずいぶん論争が巻き起こったそうである。)

 上田勤(1906-1961)という人の翻訳、昔風であり、これはどうかと思うところも多い。たとえば、英国での話なのに「呉服屋のスミスソン」(p109)がいたり、「驕る平家は久しからずさ。」(p88)などと噂をする日本歴史に詳しい人たちがいたりする。ステーキのことを「テキ」(p123)と言ったりする。

 だが、それが1930年頃の、あるいは「わたし」が回想するさらに過去の時代の雰囲気に妙に合って感じられるのは不思議である。

 原題の"Cakes and Ale"とはどういう意味なのか?辞書を引いてみると(オンラインだが)、「おいしい御菓子と酒、人生の(物質的)快楽」とある。なるほど。合わないものの例え(「ケーキを肴にビールが飲めるかっ!」)ではなかったんだね。


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