|
感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2005030001 | ウラジーミル・ナボコフ | ロリータ | 1955 | フランス(英語) | 新潮文庫 |
評者:発起人 評価:6 読了日:2005/03/09 公開日:2005/03/09
|
50年前に出版された元祖「ロリコン」小説?
|
|
思春期前後の少女への性的偏愛を表すロリ(ータ)、さらに「ロリータ・コンプレクス」を略した「ロリコン」ということばが日本語として定着して久しい。 その本家本元がこのロシア生まれで西欧→米国で暮らしたウラジーミル・ナボコフ(1899-1977)が1955年に英語で発表した『ロリータ』なのである。 最初はフランスで出版され発禁の憂目を見たが、3年後に米国で再出版された。 中年のヨーロッパ出身の知識人、ハンバート・ハンバートがアメリカでの下宿先の一人娘ドロレス・ヘイズに魅せられる。もともと思春期前後の少女たち(かれは「ニンフェット」と呼んでいる)に性的妄想をふくらませる性向を持っていたハンバートは、一方で文学研究者としての顔を持ちながら他方ではなんとかドロレス(「ロリータ」という呼び名は訳者の大久保康雄による注によれば、ラテン系の名前ドロレス Doloresの変化したものだという。)に対して自分の欲望を遂げようとする。 その母親で未亡人のシャルロッテが自分に恋していることを知ると彼女と結婚し、ドロレスの「父親」の立場を悪用してチャンスをうかがうのである。 うーむ、こう書くと変態性欲者による犯罪小説のように受け取られるかもしれないが、この小説がそういう嗜好を持つ人のためのポルノではないのと同様に、単純な勧善懲悪小説でもないのである。 もちろん、太古・中世はともかく舞台となっている戦後アメリカでも州によって違いはあるが、ハンバートの行為は性的犯罪として罰せられるか、少なくとも社会からは受け入れられない行為として断罪される。本人も自分の嗜好が明らかになることを極端に恐れ、卑劣な手段を使い、隠蔽に必死の努力を続ける。 しかし、ドロレス自身がハンバートに媚態を示しはじめるであり、ついには学校を離れて全米のモーテルを渡り歩く生活を続ける。この旅ではハンバートはドロレス=ロリータに翻弄されるのである。米国の底浅い文化を軽蔑しながらも、その申し子のようなロリータの魅力にハンバートは勝てないのである。 本日3月9日のNHKのニュースでは、住民基本台帳で母子家庭を調べて、中学生の娘を暴行した男が逮捕されたといっていた。奈良の女児誘拐殺人事件も記憶に新しい。「子どもへの性犯罪」の前科がある人間の住所を警察が把握するという制度が適用されるという話もある。 そういう意味で、非常に誤解されやすい小説である。そのような犯罪を助長する小説なのではないかというような底の浅い批判は私が何をここで書こうが当然抑えることはできないであろう。 だが、小説は小説なのであり、現実の事件と重ね合わせて考えるわけにはいかない。そんなことをすればすべて小説はお説教小説か「思想」小説になってしまうというか、小説や文学は不要になってしまう。 「私のこの小説に、倒錯者の生理学的衝動にいろいろと言及する部分がふくまれていることは、たしかに事実だ。しかし、なんといっても私たちは子供でもなければ無学な非行少年でもないし・・・イギリスのパブリック・スクールの寮生でもないのだ。」(p476、「『ロリータ』について」)と作者も語っている。 語り手のハンバートの苦悩、しだいにどこまでがほんとうでどこからが幻想なのかわからなくなってくる描写をじっくり味わうべきなのであろう。 おお、偶然だが、わが日本ではナボコフと同年生まれの川端康成が同じ年に『みずうみ』というやはりこれも少女偏愛をテーマにした物語を出版している! しかし、それらをすべてを言った上で、この小説が面白いかどうかという私の単純であいまいな基準から見ると、私にハンバートの基調をなしている欧州文化の素養がないためか、夢中で読める小説ではなかったのである。 |