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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2005020009 | ユベール・マンガレリ | おわりの雪 | 2000 | フランス | 白水社 |
評者:発起人 評価:10 読了日:2005/02/25 公開日:2005/02/25
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語られない物語が琴線に響く−「心の涙」をあふれさせる傑作
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フランスの作家、ユベール・マンガレリ(1956-)の作品。パソコンやワープロのせいか、これでもかこれでもかと考えたこと主張したいことを一から十まで書かないと気がすまないような作家(そしてそれを求める読者)が多いように思われる今日この頃、本書は翻訳版で150ページほどの小品であるのに、小説のみが与えられる種類の感動を与えてくれる傑作である。 文字数は最小限である。いや最小限であるからこそ書かれていない物語が感じ取れるのだ。禅の境地に通じるような沈黙の文学である。 「ぼく」は「トビを買いたい」と思った。ディ・ガッソという男の店の鳥籠の中に入れられているトビである。ぼくは養老院で老人たちの散歩に付き添うことでお金をもらっている。そのわずかなお金も半分は家に入れている。 父は病に臥せっていて、「ぼく」が話し相手だ。悪夢にうなされ、暗闇の中で目を覚ますとさらに恐怖にうなされる。この父の恐怖は具体的にはほとんど語られない。 やがて養老院の管理人のボルグマンがぼくに自分ができない「仕事」を依頼する。「ぼく」は引き受ける。トビを買うために・・・。この「仕事」はボルグマンがいやがったように「ぼく」も好きでやるわけではない。大きな葛藤がある。でもその葛藤も直接語られることはない。 母はいつも夜になると家族の住む屋根裏部屋を出ていく。「ぼく」にはなぜ母がでていくのかはわからないが、母が出ていくときの自動消灯スイッチの音を聞くのを父はいやがるのだ。ここにも語られないからこそ、何ページかを費やすよりも鮮やかに背後の物語が浮かび上がるのだ。 父は「ぼく」が作った「トビ捕り」の男の話を聞くのを楽しみにしている。その話の詳細も語られない。この話は「ぼく」の創作=嘘である。そのことに当然父も気づいているはずだ。その話をする「ぼく」の気持ちをわかっている父、そしてそのことをわかっている「ぼく」。 常に死へ向かう人間。必ず別離の苦しみを体験する人間。みんなそんなことはわかっていてどうしようもないからこそあえて語らない物語がある。 「ポジティブ」になるために、あとですっきり元気になるための薬としての「涙」とは異質の感動がこの作品にはある。胸の奥で涙を流す、そんな感じだ。(下手な表現ですいません。) 雪は真っ白で降り積もれば空白のひろがりのように見えるが、実はその下には深さ・色合いの異なる沼があるかもしれない。線路が走っているかもしれない。建設途上の鉄橋があるかもしれない。 語らないことでさらに多くを語るのである。語られないことを理解する感受性を読者に要求するが、それも自然でやさしい言葉と沈黙によってであるからいかにも前衛的だというような手法とは無縁である。 何度も読み返したくなる、最近私がめぐりあうことができなかった、高い質を持った文学である。長く読み継がれる生命力を持った作品である。 |