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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2005020001 | 角田光代 | 対岸の彼女 | 2004 | 日本 | 文藝春秋 |
評者:発起人 評価:9 読了日:2005/02/01 公開日:2005/02/01
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掃除、働くこと、女同士の友情そして?
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角田光代(かくた・みつよ、1967-)の第132回直木賞受賞作。 女性同士の友情という私にはあまりなじみのないテーマを扱っているが、差別・いじめ・排除が横行する世の中で前向きに生きていこうとする二人の主人公の姿勢が感動的である。 平凡な専業主婦の小夜子は一人娘のあかり(三歳)の「公園デビュー」がうまくいかず、近所の公園を徘徊する「公園ジプシー」になっていた。あかりはどこでもほかの子どもたちとうまくやっていけない。この社交性の欠如は自分に問題があるのではと悩んでいた彼女は、本格的に仕事を探す決意をする。 「働きはじめれば−それがすべての解決策のように小夜子には思えたのだった。」(p11) そこでめぐり会ったのが同じ年、同じ大学出身で、「プラチナ・プラネット」(略称、プラプラ)という旅行代理店というか便利屋を創業、経営している独身の葵だった。葵は多角化の一環として、掃除代行業を始めたいと考えているらしく小夜子を採用する。 物語は、この小夜子の視点で描かれた章(現代)と高校時代の葵の視点(おそらく1980年代中盤)で描かれた章が交互に配置される。一見して対称的な二人は、そして現在と過去は最後に交錯してひとつになる。 葵に深い心の傷を負わせた事件とは何だったのか?女同士での「グループ」、いじめ、排除、愚痴などを超越しようとしてできなかった葵とその女子高時代の友人、ナナコ。 淡々とした語り口で、愚痴にならず、紋切り型の男性優位社会批判にとどまらず、前向きなのである。また特に葵の章では80年代の描写が同世代の人の郷愁を誘うであろう。 そしてなによりも、掃除をする、片付ける、きれいにするという行為が、行止まりから救ってくれるという作者の考え方は説得力がある。 この作者の姿勢が、本作品ではかなりどうしようもない存在として描かれている小夜子の夫の修二や葵の会社に出入りする木原などの男性を批判はしても排除するものではないと信じたい。 ところで、葵社長は小夜子にこう言っている: 「・・・スリランカの南方を中心にね、・・・インド洋沿いの、まだ開発されてないようなところ。それの日本の、うちが総代理店っていうの?・・・それをはじめてからずいぶん安定したんだけど、テロだの戦争だの・・・今度は新型肺炎って、もう神さまに意地悪されているとしか思えない。海外を取り扱ううちみたいなちいさい会社、ずいぶんつぶれてるんだよねえ」(p18) それに加えて今度は津波で、大丈夫か、葵社長っ!小夜子もへこたれるなよ〜! |