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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004120004 正高信男 ケータイを持ったサル 2003 日本 中公新書

評者:発起人    評価:8   読了日:2004/12/07   公開日:2004/12/07

サル(=動物)との類似性から見た現代日本家族論

 

 秀逸な題名である。

 当事者たちは感じていないが、ほとんどの「大人」たちが苦々しく思っている今どきの若者たちの行動へのおじさん世代からの批判の書かと思って読み始めるのである。

「くわえたばこや、茶髪やピアス、歩きながらものを食べるぐらいでは、こちらも驚かない。けれども、プラットフォームの床に、セーラー服姿の女子高生がじかに尻をついて座っている。下着をさらけだしている。車内でも、あたりかまわずへたり込むように腰をおろす。・・・」(はじめに)

 そうだ、がつんっと言ってやれっ!俺は言えないけど、と思って読むのである。

 ところが、さすがただのおじさんでは無い。京大霊長類研究所教授(つまりサル学者)である著者の正高信男(まさたか・のぶお、1954-)は、どうしてこのような若者が増えつつあるのかを考えるのである。

 人間とは何かなどということを実証的に研究するため対象としてよく選ばれるのはサルである。共通のご先祖様を持つ、われら万物の霊長・ヒトとサルとの類似点と相違点を観察を通じて明らかにするためである。

 そうだ、この若者たちの行動を解明するためには、サルの新種を発見したときのように考えていけばいいのだと著者は気づいたのである。

 だから、別にこの本はケータイをもって、群れている十代を中心とした若者たちをあざけるために書かれているのではない。ひとつひとつの主張は仮説の域を出ていないが(まあ、こんな事態になっているのは世界広しと言えども日本ぐらいのものであろうから比較対称して研究するのもサルぐらいしかいないのかもしれないが)、ほとんどの主張は題名のセンセーショナリズムに比較してまともである。

 他者と対立し、協調し、言語などによりコミュニケートしながらしか生きていけない人間の(社会)力が弱まってきているのではないかというのが著者の主張である(=サル化)。日本の家族の急激な変化が、「家の中」と「公共の場」(例:電車)との区別ができない人間を大量に作り出している。

 子供が思春期を迎えても子離れできない母親、父性の稀薄化、「かわいいっ!」としか言えないコミュニケーション力のサル化、晩婚化の進行による親の側の「判断力」の老化等々がサルやヒト相手の実験に裏付けられていて、説得力を持つ。

 そして、今や若い夫婦も、人と関ることを忌避し、挫折や失敗を恐れ、同じような苦労はしたく無いという心理的理由で、出生率が低下していく。

「動物学者からすれば、人間は四〇代も半ばを過ぎると高齢者の仲間入りの時期という方が、むしろ常識に近い。」(p147)昔は孫の世話をしていた時期に(昔なら自立していた)思春期の子供たちとの難しい問題に立ち向かわざるをえない親は疲れるのであり、その親を見て育った子供たちの世代が子供を持とうとは思わなくなっているのである。

 残念なのは、この人一流のスタイルなのかもしれないが、著者が冷静なサル観察者の眼で若者たちを見ているように感じられたことである。


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