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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004110004 舞城王太郎 九十九十九 2003 日本 講談社ノベルス

評者:発起人    評価:9   読了日:2004/11/11   公開日:2004/11/11

舞城王太郎の多重パラレルワールドがひとつの頂点に達した作品か

 

 公衆の面前に姿を見せない謎の作家、舞城王太郎(まいじょう・おうたろう、1973-)の第6作は、タイトルからして驚きである。あの清涼院流水(せいりょういん・りゅうすい、1974-)の作品中の登場人物、九十九十九(つくも・じゅうく)なのである。

 全部で7話から成っているこの作品、それぞれの話での語り手は「僕」(=基本的には九十九十九)である。

 第1話によると、「僕」は生まれたときに、産院から誘拐された。その犯人である看護婦の「鈴木美和子」(「僕」は「鈴木君」と呼んでいる)は、「僕」があまりに美しすぎるので、水銀を飲ませて声を潰そうとしたり、両目をスプーンでくりぬいたりしたが結局殺せなかった。そして「鈴木君」の恋人の「加藤君」の福井県西暁町(!)にある実家で「加藤九十九十九」として、「鈴木君」と「加藤君」との間に生まれた「ツトム」といっしょに育てられる。「鈴木君」は京都の女子刑務所に入れられる。

 この加藤家の地下室で「僕」はこの家のセリカ(♂)・セシル(♀)という二卵性双生児の幻想の中でペットの「ガジョブン」として、「成長」というか大人になっていくが・・・。

 ところが、これが第2話になると、「僕」(九十九十九)は微妙にというかかなり環境の違う世界に生きている。やがて届けられる《清涼院流水》という名前を使った小説原稿・・・。

 このなんというかパラレルワールド状態が、どんどんエスカレートしていき、最後の第6話(第7話が6話の前に置いてあるんだね)になると・・・もう、なんともはやこれは・・・と絶句状態である。

 清涼院流水がミステリーのお約束事を破壊したとすれば、その中の登場人物や《清涼院流水》まで登場するこの作品は何だ?この作品は、ミステリーの脱・脱構築か?

 つまり、すべてが可能だということだね。言葉で書かれる、あるいはイメージできることはすべて現実に起こりうることだと思うことができる。現実に起きても、起きなくても、言葉をつむいで行く限り、やり直しはできるということだ。いくらグロテスクな場面や大量殺人が続いても、それどころか「僕」は首を切り落とされても、殺されても恋人と三つ子の赤ちゃん「誠実」「正直」「寛大」とまたやり直せる。

 もちろん小説の中でだが、作家としては何度も何度も世界を作っては壊し、壊しては作っていく、それが生き方なのだということなのかもしれない。

 旧約聖書の「創世記」と新約聖書の「ヨハネの黙示録」の「見立て」が成功しているとは言い難いが、いや小説としても成功しているとは言えないかもしれないが、ミステリーというジャンルでは収まりきれないこの作家の基本的に真摯な姿勢を浮き彫りにしているような気もする。


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