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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004110003 | 森島恒雄 | 魔女狩り | 1970 | 日本 | 岩波新書 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2004/11/7 公開日:2004/11/7
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不義を正義に変えた魔女狩りの歴史−現代にも持続する謎
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現在でも、真剣に魔女の存在を信じている人は別にして、普通は魔女は物語や映画の中の存在として受け止められている。 しかし、ちょうどルネサンスや宗教改革の時代のヨーロッパ(1600年前後百年)に頂点を極めた魔女狩りの時代には魔女の存在はほとんどの人たち、もっとも開明的な人たちによっても信じられていたというのである。 もちろん、魔女の歴史は1600年ごろでは無くもっと古くまでさかのぼることができる。魔女(女性だけでは無い)が罪悪となり、組織的迫害の対象となった起源は、12世紀頃の南フランスにあった。当時の腐敗・堕落した教会の聖職者に反対する、アルビ派やヴァルドー派などの勢力が公然と教皇や司教などの教会権力の権威を否定して反旗を翻したのである。 教皇派は、こうした「異端」弾圧のための十字軍(アルビ十字軍と呼ばれる)を結成、残虐な戦争・弾圧が続き、最終的には南フランスのこの運動は壊滅させられる。 この異端派弾圧のために誕生、制度化されたのが、悪名高い「異端審問」である。直接に教皇から、地域を越えた絶対的な権力を与えられて各地に派遣された異端審問官は、逮捕・取調べ・拷問・裁判・処刑・遺産分配(魔女のだよ)などの技術を制度化し、またそのための神学的根拠付けを行った。 特に有名な異端審問官の一人が、(私も最近知ったのだが)、ベルナール・ギー(1261頃-1331)。なにしろあのウンベルト・エーコの傑作『薔薇の名前』(1980)にも登場する人物である。 当時の教皇、ヨハネス22世(本書では「あらゆる法皇の中でもっとも迷信的、もっとも貪欲、もっとも残忍だった」と形容されている)が、従来は言わば刑法犯として裁かれていた魔女を異端として認定、魔女狩りを組織的に進めることを命令した。(1318年の教書) ヨハネス22世は、本書では、政治的な思惑から魔女裁判を利用したと書かれているが、魔女狩りを政治的に利用したのはこの教皇だけではなかった。「テンプル騎士団」(これはダン・ブラウンのベストセラー、『ダ・ヴィンチ・コード』(2003)にも出てきますね。)への弾圧(1312年解散)は、言わば騎士団の財産目当てにフランス王フィリップ4世が行ったが、審問官たちは判決理由に魔女を忍び込ませている。 有名なジャンヌ・ダルクも処刑されたとき(1431年)、その判決理由は魔女的色彩で書かれている。 しかし、これら言わば統一的な魔女概念が確立していなかった時期の魔女狩りは、著者によると言わば「もぐり」であった。「魔女の異端性を論証する専門的な魔女論」(p58)が書かれたのは15世紀後半からであり、それらの書物には魔女の実在性・特徴・悪魔と結託するその「犯罪性」などが事細かに「論証」されていた。 そして、魔女狩りが最盛期を迎えていくのである。欧州のほとんどの地域で、また後にはアメリカでも、新旧を問わずキリスト教文化圏で荒れ狂ったのである。とにかく密告や拷問による「自白」、「仲間」の「告発」で犠牲者はどんどん膨れ上がった。ほとんどの場合、魔女に対する判決は火刑であり、拷問の残虐さは目に余るものがあった。老若男女、地位の高低に関らず、密告されるとほとんどが助からなかった。犠牲者には幼児まで含まれている。 18世紀の後半にようやく魔女狩りは収束する。 なぜこういうことが実際にあったのか?著者の森島恒雄(もりしま・つねお、1903-87)の説明によっても私の疑問は解消されたとは言えない。この本では当然触れられていないが、「異端」(キリスト教だけでは無い)を排除するために「魔女狩り」に類似した手法が使われた例は現代に至るまで後を絶たないからである。 魔女裁判、あるいは宗教裁判一般について、著者は述べている。「・・・およそ思い浮かべられる限りのあらゆる不義、悪徳が、むしろ正義、美徳として、なんのためらいもなく、確信に満ちて堂々と行なわれているのである。この確信が、あらゆる不義と悪徳を正当化している。」(p188) なぜか?無知か?ほんとうに信じていたというのか?それとも権力への追従・自己保身か?経済的動機か?疑問は膨らむのである。 |