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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004100007 ウンベルト・エーコ 薔薇の名前 1980 イタリア 東京創元社

評者:発起人    評価:10   読了日:2004/10/24   公開日:2004/10/25

読了後も次々浮かぶ疑問−エーコが創造した開かれた書物の小宇宙

 

 イタリアの記号学者、ウンベルト・エーコ(1932-)が著した初の小説で各国語に翻訳され大ベストセラーとなった作品。1986年には映画化もされているが、この日本語訳が出版されたのは1990年。

 舞台は14世紀のイタリア、今や死が迫りつつあることを自覚しているドイツ地方出身の修道僧である「私」(アドソ)がまだ「見習修道僧」時代に体験した7日間の出来事を綴る手記の形をとっている。

 しかし、その前に、実はその手記(ラテン語)の写本(の写本のフランス語翻訳版)を作者のエーコが入手し、それを現代イタリア語に翻訳したものであるという旨の序文が冒頭に置かれている。これは?マトリョーシカのような入れ子構造か?と読者はそれ自体が仕掛けなのではないかと疑って読み始める。

 1327年の11月末、アドソは師「バスカヴィルのウィリアム」の従者として、北イタリアのある僧院を訪れる。ウィリアムは、互いに激しく対立していた教皇派(ヨハネス22世、当時はローマを離れてアヴィニヨンにいた)と皇帝派(神聖ローマ帝国皇帝ルートヴィヒ)の両陣営の予備折衝という重大な政治的使命を帯びてこの台地に聳える僧院にやってきたのだ。

 ウィリアム自身は元異端審問官であったが、故国(イギリス)の哲学者ロジャー・ベイコンを師と仰ぎ、「オッカムのウィリアム」を友とし、イギリス経験主義、近代合理主義的な考え方を信奉していた、皇帝派神学者の代表のひとりなのである。

 この当時のヨーロッパにあっては、哲学は神学に従属するものとして存在していた。しかし、古代ギリシアの哲学者アリストテレスなどの著作がアラビア語経由で再評価されつつあり、教会と教皇がすべてを支配するという秩序が崩壊の兆しを見せはじめていた時代でもあった。

 この教皇・教会の支配に対する皇帝・世俗世界の挑戦という基本的な対立は、キリスト教からさまざまな異端派を生み出した。その中にはきわめて過激な教義と行動を取るものもある。この小説でも重要な役割を果たすドルチーノ派はそのひとつである。

 (これはどこかで読んだ設定、あの平野啓一郎の『日蝕』(1998)そっくり、というかもちろんこちらのほうが、もしそうだとすれば『薔薇の名前』に影響を受けているのである。)

 ところが、この僧院でウィリアムとアドソを待っていたのは、「ヨハネの黙示録」を模したような修道士たちの連続死であった。ウィリアムとアドソはこの僧院内を探索し、事件の背後にあると推測される「異形の建物」内部にある、迷宮のような文書館にある秘密をつきとめようとする。

 ウィリアムの到着後に教皇派・皇帝派それぞれの代表団も到着し、丁々発止の議論が展開される。(この教皇派対皇帝派をはじめとする議論の迫力は並みのリーガル・サスペンスの水準を抜いている。)

 教皇派の異端審問官、ベルナール・ギーはこの僧院内の事件に対してひとつの解決を提示する。犯人は教皇派に逮捕される。

 しかし、この解決はほんとうの解決なのか?ウィリアムとアドソはいったん犯人が逮捕された後もここにとどまって謎解きを続けるが・・・。

 正統と異端とは何か?異端審問とは?書物とは?あるいはこの小説自体がさまざまな書物のパロディ、綴じ直しなのか?これはほんとうに中世末期の物語ではなく現代の物語なのではないか?

 くやしいが、私には、読み終わっても、湧き上がってくるこれらさまざまな謎を解明する力は無い。訳者の河島英昭が巻末の解説でこれらの疑問のいくつかの解明へのヒントを与えている。まことに、書物は読み手を選ぶのである。

 もちろん、単にミステリ作品としてだけ読んでも超一級品である。


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