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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004090005 | 北原亞以子 | 深川澪通り木戸番小屋 | 1989 | 日本 | 講談社文庫 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2004/09/08 公開日:2004/09/08
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幻想の江戸時代を舞台にした現代小説か?
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私の江戸時代についての知識は非常に乏しい。260年も続いた江戸幕府のもと、鎖国をし、社会は停滞したが、おおむね平和が続き、独自の文化を生み出したなどというのが基本的なイメージである。 しかし歴史の勉強や小説で私が得た江戸時代の知識などというものは限られているのであって、実はテレビや映画で見る江戸時代のイメージのほうが強烈に私のこの時代についてのイメージを形成している。京都の太秦映画村のセットにあるようなイメージである。 これはそしてかなり一般的なイメージなのではないだろうか。時代モノと言われて、まさか縄文時代を思い浮かべる人は少ないだろう。戦国時代モノや幕末モノというのはあるが、そこでは庶民は戦争の犠牲者である。英雄たちが主人公なのである。貧しいながらも平和に暮らしている庶民が主人公であると言えばやっぱり江戸時代なのである。 北原亞以子(きたはら・あいこ、1938-)のこの連作集も、そんなイメージにぴったりの設定である。舞台は深川中島町にある木戸番小屋とその周辺。時代はおそらく文政10年(1827年)頃。木戸番小屋に住み着いて、夜警というかまあ今で言う管理人のような仕事をしている、笑兵衛・お捨夫婦(いくら何でもこのふざけた名前は本名ではなさそうである)が主人公である。 木戸番の番人というと、江戸時代にはあまり評判の良くない「強欲な」イメージがあったそうだが、この澪(みお)通りにある木戸番小屋の夫婦は違う。周囲は大店の跡継ぎだったとか京の高貴な家の生まれだとか噂をしている。(その謎はこの連作集の最後に明らかになる。) そして、二人のもとにいろいろな人たちが関わったり、その思いをぶちまけたり、相談にのってもらったりするのであり、最後は二人に力や勇気をもらってまた世の中に出て行くのである。 作者の筆運びは川の流れのようにスムーズであり、江戸時代の人々の息吹が、三方を川・堀に囲まれたこの深川中島町や周囲の江戸の下町の四季のイメージとともに伝わってくる。ああ、時代は変わっても人の心は変わらないなあなどと思ってしまうのである。 と、昨夜というか今朝2時ごろ、しみじみとした思いで読み終わって寝たのであるが、今日一日良く考えてみると、そんな感じ方は少し変なのではないか?と思ったのである。この作品、背景が江戸時代なだけで、当たり前だが現代の作家が書いている。 そもそも時代小説って何だろう?などと考え出したために、会社勤めの後で書き出したこの感想文はこのような書き出しになってしまったのである。 昔は、とは言っても、私が子供の頃は、「清く、正しく、美しく」などという言葉があったように思う。これは貧しくても、倫理的に正しいのは「庶民」であるということだったのか?いや、その反面、実は貧しい人は自棄になったり、反抗したりしないで、考え方を変えて(今で言えばポジティブに)一生懸命働けば、そのうちいいこともあるさと思わせるための「イデオロギー」であったような気もするのである。 そして、(江戸)時代小説の多くには、同様の「イデオロギー」が含まれているのではないだろうか?(江戸)時代小説には戦争も維新も無いのである。お上の統治への不平不満もほとんど無い。心の持ち方の変化で、不幸せが幸せになるのである。 バブル絶頂期に書かれたこの作品では、舞台になっている深川中島町は長屋で成り立っている庶民の町であるが、飢え死にするような極貧では無く、周りだけを見ると「中流」である。しかし、遥かに隔絶した富を持つ「大店」の世界(バブル紳士たち?)が同じ江戸には存在している。「大店」の世界に出て行く人もあれば、ここに落ちてきた人もいる。その意味でこの小説は完全に書かれた時代の「庶民」の願望を反映しているとも言える。 深読みのし過ぎか? この『深川澪通り木戸番小屋』シリーズは続編も出ているようだが、どうしようかな?読んでみようかな? |