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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004090003 ヘルマン・ヘッセ クヌルプ 1915 ドイツ 新潮文庫

評者:発起人    評価:8   読了日:2004/09/04   公開日:2004/09/04

人を楽しませる芸術と人生を肯定した古典的構成の作品

 

 私が十代のころは、おそらく、最初に通過すべき海外の作家・詩人として考えられていた、ヘルマン・ヘッセ(1877-1962)。思春期の葛藤を、美しい自然を背景に描く文学というイメージがある。今でもそうなのだろうか?

 さて、『クヌルプ』はそのヘッセがそれまで雑誌に発表した三つの物語をまとめて1915年に単行本として発表した。

「早春」(1914-15)。1890年代の初め、主人公クヌルプは青年期にいる。病み上がりだったが、流浪の生活を続けている。どこにでも友人がいて、誰でもが彼を歓迎する。彼は美しく、おしゃれで、即興で歌を作り、歌い、踊った。レヒシュテッテン(どこだ?)で、旧友の「白皮なめし匠」、エーミル・ロートフースの家に宿を借りる。エーミルも、彼の妻リースも彼を歓迎する。クヌルプはリースからあからさまに誘惑されるが、それを振り切るように、向かいの家で女中奉公をしているバルバラを誘い出し、踊りに連れてゆく。ここでのクヌルプは誰からも(特に女性から)好かれ、人を楽しくさせるのである。

「クヌルプの思い出」(1908)では、クヌルプが過去を「私」に語る。クヌルプが何故故郷を捨て、流浪の生活を始めたのか?何故「ラテン語学校」(これはどうやらエリート養成のための中高一貫型学校のようである)を止めたのか?少女たちとの性愛遊戯と恋愛の挫折。途中でクヌルプの哲学的思索が語られもする。(永井均もびっくりという感じか。『<子ども>のための哲学』参照。)

「最期」(1914)では、クヌルプは死を前にしている。四十歳で重度の肺病に罹っている。相変わらずの放浪生活だが、昔のように女や子供たちに好かれることはなくなっている。旧友の医師マホルトによる手配による入院の前に逃げ出し、故郷の町を彷徨し、昔美しいと思ったものを見出そうとする。ここでのクヌルプは人生を振り返って、別の可能性があったのではないかと自問する。吹雪の中、彼の前に現れた神は何と言ったか?

 ヘッセは、クヌルプを肯定的に描いている。定職を持ち、定住している人たちとはまったく異なる生き方をしているクヌルプを励ましている。自らの芸術家としての生き方と重ね合わせているのだろうか。

 この作品はどこか牧歌的である。人々は実直である。ここにはまだ現代文学が取り組まなければならなかった深刻な絶望・虚無・孤独・戦争・革命・性などの問題は読み取れない。構成も古典的である。しかし、この作品が単行本として出版された1915年は、訳者の高橋健二が「解説」で書いているように、すでに第一次世界大戦が始まっていた。同じ年、プラハではカフカの『変身』が出版されている。

 何故、↑のようなことを書いたのか?おそらく、ロシアで起きた武装集団(チェチェン独立派など)による学校占拠と治安部隊突入によって200人以上の犠牲者(その多くは子供である)が出たという事件に私が動揺しているからである。ヘッセのせいではもちろん無い。


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