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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004080008 新田次郎 アラスカ物語 1974 日本 新潮文庫

評者:発起人    評価:7   読了日:2004/08/24   公開日:2004/08/24

エスキモーの指導者になったフランク安田の生涯

 

 明治元年(1868年)、宮城県石巻町の代々医師を営む家庭の三男として生まれた安田恭輔は十九歳のとき、外航船の船員となり日本を離れた。以降1958年にアラスカで亡くなるまで再び懐かしい故郷・石巻に帰ることは無かった。

 外航船の見習船員を経て、米国の農場などで働いたあと、安田(どういうわけかフランクという名前になっている)は米国沿岸警備船「ベアー号」のキャビンボーイになった。「ベアー号」はアラスカ北岸などで当時横行していた鯨などの密漁船や密輸船を取り締まることが主な任務だった。

 ある冬、この船が氷に閉じ込められたため、その能力から事務長補佐的な役割を果たしていた安田は不足する食糧の調達のため、単身百数十マイル離れた北極海に面したポイントバローに赴く。証拠は無かったが船員の一部と結託した悪徳商人が積荷のときに不正行為を働いたために越冬用の食糧が不足したのだ。さまざまな困難に打ち克ちこの任務を果たした安田は、人種的偏見の強い「ベアー号」を降り、このエスキモーたちの村落に住み着くことにした。

 ここからフランク安田のエスキモーの指導者としての活躍が始まる。もちろん、一挙にそうなったのでは無かった。持ち前の粘り強さ・誠実さと、環境への適応力、純朴で平和的なエスキモーたちへの愛情が自然とフランク安田を指導者に押し上げていった。

 アラスカ山岳地帯での金鉱発見、北極海沿いのポイントバローから彼が開いた村、ビーバーへのエスキモーの集団移動・定着を指導したことでフランク安田は名前を歴史の1ページに残している。(第二次大戦中は日系米人強制収用所に入れられもしている。)

 新田次郎(1920-1980)が小説に書いたこの、フランク安田が実在の人物であったということがまず驚きである。作者は生真面目にフランク安田の事跡をたどり、子孫たちを取材し、アラスカの現地や石巻の生家を訪ねている。小説の一部のようにして最後に「アラスカ取材旅行」という文章も綴っている。これは伝記なのである。

 おそらくこの小説が出るまではほとんど世間に知られていなかった、日本人エスキモーの功績を小説という形式で世に残したことがこの小説のいちばん大きな意味であると思う。

 アラスカの厳しいが美しい自然、エスキモーやインディアンたちの自然と調和した、なかなか興味をそそられる暮らしぶりとその変貌、鯨や毛皮、砂金を求めて押し寄せてきた白人たちのアラスカ開発・破壊・観光地化も小説を読むうちにわかるようになっていて興味はつきない。

 エスキモー(これにも海岸エスキモーと内陸エスキモーではかなり違う)、インディアン、白人、日本人(安田以外にジョージ大島、ジェームス・ミナノと名乗る個性的な日本人が登場するが、この二人も実在の人物らしい)などさまざまな文化・習俗の違いを持った人たちがアラスカといういわばあまり国家の力が及ばなかった辺境の地で交流していく様子もおもしろい。

 偏狭な愛国心が流行しつつあるように見える現在、エスキモーたちを愛しつつも、コスモポリタン的な生き方をしたこの人物の姿はもっと知られていいと思う。

 もちろん、彼が実際に何を考えていたか、どのような想いで生きていたか、外形的な事実以上のことはなかなかわからないし、記録にもほとんど残っていないようであり、読者は想像してみるしかないのである。作者はそのような「想像」部分はできるだけ抑制しつつも、ひとつの像を提示したのだと言える。


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