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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004080005 | 加賀乙彦 | 死刑囚の記録 | 1980 | 日本 | 中公新書 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2004/08/10 公開日:2004/08/10
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死刑囚も人間である−それでは人間はすべて死刑囚になる可能性があるか?
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加賀乙彦(かが・おとひこ、1929-)という作家、『宣告』などの分厚い小説で知られているが、私はその分厚さのため、またその取り扱っているテーマも重厚そうであったため、敬遠していた。 この中公新書の一冊を読んでみて、作者がもともと精神科医であり本名の小木貞孝(こぎ・さだたか)名で精神医学の本も書いていることを知った。作者が精神科医として最初に興味を持ったのが、いわゆる「ゼロ番囚」と呼ばれる重罪犯である。かれらの多くは殺人犯として起訴されており、判決はほとんどの場合死刑か無期懲役である。 若き精神科医としてこれらの重罪犯たちの訴えを聞き、症状を研究し、治療を施す中で、作者はこのような重罪犯たちに特有の精神症状に気づき、本格的に研究してみようと思い立った。作者の言うところによると、諸外国にもこのような研究は例が無く、「私は自分がやろうとしていることが、どうやら前人未到の領域らしいと気がついた。」 この本は、こうして作者が先輩学者・研究者たちの協力も得て行った調査等で出会い、その研究終了後も個人的に交流のあった死刑囚たちの姿を淡々と記録している。 ここには死刑囚(中には冤罪であったことが判明した人もいるが)たちが何に悩み、怒り、精神的な症状を呈するかが、冷静な研究者の目で記録されている。 声高な死刑廃止論を唱えているわけでは無い。作者はこれら死刑囚たちに人間存在の縮図、もっとも凝縮された人間存在を見ているようである。 「人間の死はいつ来るか分からない。しかも私たちの未来に確実におこる出来事は死だけである。とすれば、死刑囚と私たちとは、時間のあり方の本質においては同じだと考えられないか。」(p224) それでは、死刑囚と私たちを分けるものは何なのか?それとも誰でもが死刑囚になる可能性があるのか? そんなことは無い、死刑囚になるような人間は私には関係無いと答えるのか、いやちょっとした偶然で、環境で誰でも死刑囚になりうるのだと考えるのかによってその人の死刑に関する考え方も変わってくるはずだ。 この問いはきわめて先鋭であり、普通はあまり考えたくないようなテーマである。 作者の立場は明らかだと思われるが、わざわざ、1980年12月の「7版あとがき」で、 「 ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は廃止すべきだということである。」 殺人者の側に立つのでは無く、被害者や遺族のことも考えろ!と思う人は多いだろう。また、抑止効果を言う人もいるだろう。 だが、殺人者が死ぬことは無意味ではないか?ましてや多数の傍観者が「社会」の名で、あるいは根拠の薄い秩序維持・抑止力の名のもとに、この公認され、制度化された殺人・復讐の継続を許容していてもいいのだろうか?あるいは死刑が無かったら、私刑(リンチ)が横行するのだろうか? 作者が傾倒しているらしいドストエフスキーでも読み直すか?あるいは『宣告』にチャレンジするか? |