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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004070015 滝川一廣 「こころ」の本質とは何か -統合失調症・自閉症・不登校のふしぎ 2004 日本 ちくま新書

評者:発起人    評価:8   読了日:2004/07/26   公開日:2004/07/27

個的存在としての人間と共同存在としての人間の矛盾

 

 この本は、小浜逸郎、佐藤幹夫が呼びかけた「人間学アカデミー」という連続講義のひとつをまとめて本にしたものである。著者の滝川一廣(たきかわ・かずひろ、1947-)は精神科医で現在天正大学人間福祉学科教授。

 この「人間学アカデミー」なるものはよく知らないのでなんとも言えないが、本書は今まで私が齧った精神医学の啓蒙書の類の中ではいちばん頭に入りやすい一冊ではあった。

 統合失調症や自閉症、不登校という問題をどのように捉えればいいのか、大きな道筋は、もちろん単純化やこの著者独特の考え方もあるのだろうが、よく理解できる。私なりにまとめると、次のようになるか。

 すなわち、人間は個人として生き、考える存在であるのにもかかわらず、同時に共同体を通じて発達し、認識を得、行動せざるをえない。この言わば根源的な矛盾関係、同時に依存関係が何らかのきっかけによりバランスを崩すと、社会生活の困難(もちろんこれはその時代等によって変わる相対的なものではあるが)を起こす。

 このような視点から見ればさまざまな症状が理解しやすいということだろうか。

 また、今までの精神医学の流れや流派を簡潔に示しているのも頭の整理に便利である。著者によれば、精神医学にはきわめて大きなくくりとして二つの大きな流れがある。

 ひとつは「正統精神医学」。この考え方では、人間は本来が合理的な存在であると捉えられるので、何らかの非合理が現れた場合、それは脳に生物学的異常が発生したと考え、その部位をつきとめるため「局在論」になる。

 もうひとつが、フロイトが創始した「力動精神医学」。この考え方では人間は本来非合理で不自由な存在である。しかしその非合理・不自由にも構造・理由があるはずでそれを解き明かすのが「精神分析」である。

 また、著者が精神科医になった1970年代半ばに「人間学的精神病理学」という流れがあった。「思索的で哲学色の濃い、ある意味ハイブローな世界」(p010)だった。精神疾患の研究を通じて、人間の本質が明らかにできるのではないかという「深い志向性」を持った流れだったが、著者もいつかこれから離れていった。「すぐに治療につながらない」し、「実は難しくてわからなくなったのです(笑)」(p011)。

 1944年に始めて認識されたという「自閉症」を巡る論争と解釈の変遷をたどった部分は言わば上述の個的存在−共同体的存在理論の応用編であり、本書中の圧巻である。

 しかし、この「アカデミー」の性質からか、木村敏(これは著者の恩師のひとりで、上記の「人間学的精神病理学」の中心)ほどでは無いだろうが、思弁的すぎるようにも思われることもたしかである。

 斉藤環のようなマニュアル記述だけでは物足りないのではあるが、現実の問題として悩んでいる人にとってはどうなのか?伊良部一郎のようになれとは言わないが、単なる教養のための1冊ということに終わってしまうような気もするのである。そういう目的の本なのかもしれないが。


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