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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004070006 | 山田詠美 | ぼくは勉強ができない | 1993 | 日本 | 新潮文庫 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2004/07/13 公開日:2004/07/14
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理想の男はかくあるべし−山田詠美のヒーロー養成ゲーム
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山田詠美(1959-)で私が読んだことがあるのは、ブラザー(アフリカ系アメリカ人というか黒人)と日本人女性たちとの性愛を描いた一連の作品だけだったので、いつベタベタするかと思って読み始めるとサラリと読めるのである。 この小説、「新潮文庫の100冊」にも入っていて、メインターゲットにしているはずの中高生が読めるようなものでなくては困るということか。いや山田詠美が新境地を開いたということなのだろう。 主人公の「ぼく」=時田秀美(ひでみ)は高校生である。 タイトルにもなっているように、「ぼくは勉強ができない」。でも、「女にもてる」。ショットバーに勤める年上の桃子さんが恋人である。「女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ。」(p17) あー、秀美君!そりゃそうかも知れないけどね、君は女にもてるかもしれないけどね、それを言っちゃあおしまいという台詞があるでしょ?などと私がここで言うまでもなく、まあはじめのページではこんなふうにただの生意気なガキである秀美君は、妙に理解のある友人・家族・先生たちからいろいろなことを吸収して成長していくのである。 ほんとうは「ベタベタ」な母性愛的な作者の視線がこのキャラクターを「立派な男」に育ていくのか?いや違うなあ。秀美君はもともと作者の理想像として、作者の考えを理解・受容することができる存在として登場するので、外れないのである。周辺の同級生たちの行動がいっそう秀美君の優秀さを引き立てる。 作者の分身とも言える「桃子さん」はあまり登場しないし、独身で出版社に勤める母・時田仁子はどちらかというと三枚目キャラである。しかしほとんどの回りの人たちに好かれる秀美君は山田詠美的理想なのであり、すでにそれは日本人のマジョリティが共有している理想像でもある。 勉強なんかできなくてもいいのである。でも秀美君が勉強をしたいと思ったら、これは並みのガリベン君ではかなわないのである。文武両道(秀美君はサッカー部所属)であり、プラス女なのであるから、これは鬼に金棒である。 発表から11年、秀美君は今どのように暮らしているのだろうか。『ぼくは仕事ができない』とか言ってたりして・・・。現実とフィクションを混同してはいけない。 そのような続編は書かれていないようだが、1996年に映画化されているらしい。 |