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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004070001 | 山形孝夫 | 聖書の起源 | 1976 | 日本 | 講談社現代新書 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2004/07/01 公開日:2004/07/01
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世界最大のベストセラーの謎に挑む
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ふん、『ハリ・ポタ』が何だっていうんだい?世界最大のベストセラー『聖書』を忘れちゃいけませんよっ!かりにも「本の虫」と名乗る限りはこのベストセラーを避けては通れませんっ! というようなことはさておき、」私がこの山形孝夫(やまがた・たかお、1932-)の一冊を手に取ったのは、やはりこれもベストセラーのダン・ブラウン 『ダ・ヴィンチ・コード』(2003)を読んだのがきっかけであった。 ローマ帝国がキリスト教弾圧から方針を転換し、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認、ニケーアの公会議なる大会議を開いて、言わば国教としてのキリスト教を決定したとき、異端派をも一掃した(というかこの会議ではじめて正統・異端が生れたとも言える)。そのときに現在残る聖書のテキストが完成したのだという一節がどこかに書かれていたのである。(うー、今ちょっと捜して見たが見当たらない。) 聖書とは何か?こういう疑問、昔からほとんど読まないくせに持っていたこういう疑問がフツフツと私の心の中で沸いてきたのである。 さらに『ダ・ヴィンチ・コード』を読んだあと、わからないのに手を出したのがフロイトの『モーセと一神教』(1939)。そうだ、聖書には旧約と新約があって、ユダヤ教は旧約を聖典としているが、キリスト教はどちらも聖典としているんだった。その関係やいかに?フロイトが言うようにモーセという偉大な人格がユダヤ教とユダヤ民族を創ったのか?キリスト教はモーセの厳格な一神教に多神教的な要素を滑り込ませたのか? これはおおごとであると思っていたところ、未読の本の山に発見したのが本書である。 前振りが長すぎるが、一見でたらめのような私の本のセレクションも私なりの文脈があるのだなあということを少しでもわかってもらいたいのである。 さて、この本を読んで謎は解けたか? 謎は深まるばかりである。 この本にはモーセのことなどほとんど出てこないぞ〜。ニケーアの公会議もだ。しかし、面白さはかなり高いレベルにあると思うよ。 まず、旧約聖書が過去半牧・半商のような砂漠の民であったイスラエル人たちがヤハウェ神を崇拝するかわりに土地をあるいは繁栄をやろうという神との契約であったという基本的な論点。なるほどこれではわれわれ日本人にはわかりにくいはずだと納得したりしたのである。でも何故、フロイトが提起したようにこれほど峻厳な一神教なのか? 作者は、当時カナンを含むオリエントに広く流布していたことが明らかになってきているさまざまな神々の姿とその聖書への影響を旧約・新約双方にわたって解き明かそうとしている。ギリシアのアドニス神話の原型となったバァル神話や病気なおしの神々の系譜を丹念に追うことで、イエスが誕生する前にも神様は多数いて、イスラエルの民は何度も唯一神であるはずのヤハウェとの契約を破ってしまったことがあることがわかる。(フロイトなら抑圧とか言うのかもしれない) 新約聖書では、イエスが言わばそのような多神教的な神々と競合関係にあったことが福音書から読み取れるという。しかしこの福音書もニケーアの公会議に至る前から別にイエスという歴史的人物の伝記であったわけではなく、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネなど初期の教団を支えてきたと思われる人たちが当時の教団の課題に即したカタチでイエスの言行の伝承をまとめた文学、はっきり言うと虚構だと言うのである。(あの「山上の垂訓」を例に挙げて詳しく説明されている。) だからイエスという人物の言行として残されている聖書自体が無意味であったというようなことを作者も言いたいわけでは無い。 しかし、そこからは「信仰」の問題で歴史の問題では無いということか? 宗教と権力・政治というような大きな問題もある。(=ローマ帝国と一体化したからこれだけ広がったのか?) しかし、なんと言っても世界最大のベストセラーである。この本を読んだだけでもその「面白さ」は伺い知れるし、歴史や他の対抗宗教・神のことも考えるとこの聖書というテキスト、私もいつまでも放っておくわけにはいかないとは思ったのである。(『ハリ・ポタ』を読み終わるころにはなんとかしたいと・・・) |