感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004050005 玄月 蔭の棲みか 2000 日本 文春文庫

評者:発起人    評価:7    読了日:2004/05/15    公開日:2004/05/16

日本の中のもうひとつの社会をユーモラスに描いた芥川賞受賞作

 

  単一民族国家と言われる日本の中で最大の少数派として生きている在日朝鮮・韓国人の社会に普段私はあまり目を向けることは無い。知識も乏しい。しかし、日本が朝鮮半島を併合してから、日本に(半)強制的に連行されたり、経済的な理由から移り住んだ人たちの子孫が今でも日本社会の中で生きているということは事実である。

 しかも、第二次世界大戦後、朝鮮半島は南北に分割され、日本に住んでいる朝鮮民族の子孫たちも分断国家に忠誠を誓うか、否応なしにどちらかに「所属」するか、あるいは日本に「帰化」するかという選択を迫られ、日本社会に同化している人たちも数多いという複雑な状況が存在する。さらに問題を複雑にしているのは、北朝鮮による日本人の拉致問題や、核問題などである。

 しかし、こうした歴史をただただ重く引きずっているだけでは在日朝鮮人・韓国人にとって、ましてや日本語で書く作家たちにとっては展望は開けない。

 玄月(げんげつ、1965-)はこの作品で大阪市の一角にある在日韓国人の集落(これが題名の由来である)の歴史を、すでに75歳の主人公、ソバンの日常と記憶の中から読者に提示する。それは迫害と差別の歴史というよりも、経済成長と脱出の歴史であり、ソバンにとってはそれから取り残された歴史である。

 ソバンは第二次大戦中に米軍の機銃掃射で右手首から先を吹き飛ばされた。(戦闘中の行為というよりも、軍の物資の闇流し作業を監督中にである)

 妻を持ったこともあったが、工場の作業中「事故」で失った。勉強のよくできる息子もいたが、学園闘争時の内ゲバで殺された。そしてこの地域のボス的存在である永山の庇護で住まいと食事だけを与えられている。

 高度成長を体験したが、自身はただただ無為にこの「蔭の棲みか」に受動的に、情報を取ろうともせず暮らしている。楽しみといえば、草野球チーム、「マッド・キル」の試合を見て、わずかの金額を賭けること。そして、一人暮らしの老人を訪ねるボランティアをしている開業医の奥さん「佐伯さん」が来る日だけである。

 すでにソバンの年代はこの集落にはほとんど残っていない。戦後日本に職を求めて不法入国した韓国人、そしてその後は中国人たちが空き家だらけになったこの集落のバラックにいるらしいが、ソバンはその変化にもほとんど気がつかないのだ。

「自分にも転機はあったはず。しかし七十五年間、それに一度も、あとからあれがそうだったと気づくことさえないのだ。」(p28)

 でもこの小説、大阪弁で交わされるソバンたちの冗談の叩きあいが重いテーマへの沈潜から読者を救ってくれている。

 表題作のほかに、「おっぱい」(あえて言えば村上春樹風?)、「舞台役者の孤独」(あえて言えば初期の大江健三郎風?)が収められているが、表題作が群を抜いている。短期間に独自のものと言える作風を確立したのかもしれない。


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