感想文番号

著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004050003 なかにし礼 さくら伝説 2004 日本 新潮社

評者:発起人    評価:8    読了日:2004/05/05    公開日:2004/05/05

桜と薔薇、現実と夢−日常と日本的感性からの脱出は完遂できるか?

 

  私は死んだらどうなるのか?死ねばただの物質に還元されて宇宙の塵となるだけか?そうは考えたくないのが人間というものである。

 この小説の主人公、「私」=帯刀杜夫(たてわき・もりお)は演劇学を教える50代の大学教授であり、評論を書き、テレビにも出演している。亡くなった父親も大学教授を勤めていて、その資産もあり、世間的には何不足の無い生活と地位を築いている。

 妻の響子とは、二十年前、室生寺の南大門の仏隆寺にあるヤマザクラの下で初めて出会った。この桜の樹の下で、歌舞伎の題材にもなった萬屋助六と島原の遊女揚巻が心中し、その後この桜の下で出会った男と女はかならず心中するという伝説が生れたその樹の下である。(ここから題名が来ているのは言うまでもない。)響子と「私」とはその日のうちにお互い心中してもいいという気持ちになり、結婚したのだ。

 しかし、持病の心筋梗塞で生死の境をさまよったとき、「私」は不思議な夢を見る。79歳で亡くなった父=秀作と「私」をが1歳のときに他界し、記憶に無いはずの母=芳江が雪の踏み切り前で言い争っている。そして、母は1歳の私を秀作に奪い取られた後、飛び込み自殺をする。臨死体験である。

 回復したとき、「私」がまず気にしたのは、亜矢のことだった。テレビ局に勤める24歳の亜矢と「私」は数ヶ月前から何かに導かれるようにして不倫の関係にあった。お互いが日常を超えた背徳と官能の世界に溺れていたのだ。「私」は沖縄生まれの亜矢の太腿に真紅の薔薇の刺青を入れさせる。

 その後も「私」は、何度も臨死体験をし、そのたびに自分の出生にまつわる秘密を、そしてさらにそれ以前の助六-揚巻の物語の「記憶」を想い出してゆく。「私」は自分の来たところ、そして行くところを知るためにはもはや社会的地位も現実の命も捨てて構わない気持ちになっていく。

 桜と薔薇、日本的感性と沖縄の祖霊神信仰(ここに沖縄の霊能者=ユタも登場する)、響子と亜矢、現実と夢の世界が「私」を巡って鋭く対立する。そして助六-揚巻の物語を再現するようにして、この小説も終局に向かう。

 なかにし礼(1937-)の作品で私が読んだのはこれが、4作目になるが、完成度という点ではこの作品が一番上かもしれない。しかし、構造主義的な分析が簡単にできてしまうような物語の作り方は、題材の反合理主義性や官能描写の多用にもかかわらず少々理知的解釈に走りすぎている気もする。

 いずれにしても、一気に読ませる力作であり、私はここで予言するが、来年のさくらの季節には映画化されているのではなかろうか?(R18指定かもしれないが)ユタに聞いてみるか?

* 本の虫クラブでのなかにし礼作品の感想文は:

『てるてる坊主の照子さん』(2002)

『赤い月』(2001)


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