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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004050001 玄侑宗久 中陰の花 2001 日本 文藝春秋

評者:発起人    評価:6    読了日:2004/04/30    公開日:2004/05/01

「邪教」の類も包み込む仏教の寛大さ?

 

 自身が僧侶でもある、玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう、1956-)の芥川賞受賞作。

 この小説の登場人物で禅宗の僧侶、則道(そくどう)は妻の圭子に、人間は死んだらどうなるのかと訊かれ、仏教での考え方を説明している。基本的には「質量不変の法則」で、人間は死ぬと「この世とあの世の中間」にある状態=中有から、どんどん膨らみ広がり「空」になり、宇宙にあまねく偏在するようになる。

 木端微塵の「微塵」がさらに仏教での最小単位=極味(ゴクミ)になり、これは物理学でいう素粒子のようなもので、ゴクミになった物質というかエネルギーは再び使える、つまり輪廻である。

「釈尊は輪廻という循環が、断ち切れるものだと示されたはずだった。則道はそう思っている。しかしそうなると却って、断ち切れなかった人々の輪廻を認めることにもなってしまう・・・・・。則道にはわからなかった。」(p33)

 則道には以上のような説明からもわかるように、仏教の教義・哲学の知識はあるが、首尾一貫した世界観を持っているというわけでは無い。この作品では、合理的な解釈の余地を拒否し、しかし存在を否定することが難しい体験の数々が語られる。

 「おがみやのウメさん」が自らの予言通りに死んだこと。「徳さん」とその妻の神秘体験。

 則道自身も金縛りや繰返し観る嫌な夢に悩まされたことがあった。だが、禅宗に帰依してからはそんなことは無くなった。則道は「おがみやさん」にこう言われた。

「いいですか、霊っていうのは、なにか気になりだしたら何をしててもそのことをじいいってと気にしているような頭が好きなんです。住みやすいんです。パッパッと切り替わっちゃう頭は嫌いなんです。住みにくいんです」(p68)

 しかし、妻の圭子は四年前に流産した子供のことを心に重く抱えたままでいて、予言通りに亡くなったウメさんと子供の供養を則道に頼む。圭子が四年間、広告や包装紙で作った紙縒りを幾重にも幾重にも編み込んだ「中陰の花」を本堂に垂らして、則道は供養を行う。

 圭子やウメさんなどの、(仏教)哲学から言えば、妄想の類として片付けられてしまいそうな思念を受け止めて、包み込み、成仏を願う則堂の優しさこそが仏教の本質であるということなのだろうか。首尾一貫し、合理的ではあるが殺伐としている一神教的世界観になかなかついていけない現代日本人の姿を肯定的に描いた作品であるとも言える。

 表題作のほか、「朝顔の音」所収。


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