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著者 書名 刊行年 刊行国 出版社
2004040006 ウィリアム・シェイクスピア アントニーとクレオパトラ 1607 イギリス 新潮文庫

評者:発起人    評価:8    読了日:2004/04/27    公開日:2004/04/29

アントニーは妖婦クレオパトラに腑抜けにされた堕ちた英雄か?

 

 ローマの執政官のひとりアントニーとエジプト・プトレマイオス朝の女王クレオパトラをめぐるこの史劇、戯曲として読む限り、深遠さや言葉の豊饒さ、という点ではたとえば四大悲劇(なんだっけ?)に比べると生意気ではあるがちょっと落ちるのではないかという感じはする。

 しかし、なんと言ってもシェイクスピアである。おそらく劇場であるいは映像化された作品を観る場合にはそんなことは感じないかもしれない。

 背景となった史実だけを、解説などを参考に簡単に記すと、前46年のシーザー暗殺(これを題材にしたのが『ジュリアス・シーザー』(1599))後、いろいろあったあと、ローマはアントニーとシーザーの養子オクテイヴィアス(これがこの劇中ではシーザーと呼ばれているのでややこしい)、レピダスによるいわゆる三執政官の統治の時代になる。しかしこの三頭政治も安定はせず、アントニー/オクタヴィアスはシーザーを暗殺したブルータスやキャシアスなどの一派と戦い、かれらを滅ぼす。

 これらの戦いの途上、アントニーはクレオパトラと出会い、その魅力のとりこになり、エジプトのアレクサンドリアに暮らすようになるのである。

 クレオパトラは若くして当時のエジプトの習慣で弟の妃になったが、エジプトから亡命している時にジュリアス・シーザーと出会い、その妾としてローマに住んでいたことがあったという。

 言わばこの物語はすでに若くなく、酸いも甘いも知り尽くし、政治的にはかなり不利な状態にある(左遷されている感じか?)英雄と辛酸を味わいつくした、衰えつつある「女王」との物語なのである。

 アントニーはクレオパトラの色香のために政治や軍事の仕事を疎かにし、人心が離れていく。着々と手を打ち、ローマ全土の支配に邁進するオクタヴィアスの権力掌握を許し、一時的な同盟・和解はあったがついには彼と最終決戦となり敗北する。そして最後にはクレオパトラと悲劇的な死を選ぶ状態に追い込まれる・・・という理解が一般的である。

 アントニーはクレオパトラが死んだと思い込み(クレオパトラがそう思い込ませたのであるが)、自殺し、クレオパトラはオクタヴィアスの助命の申し出を断り、毒蛇に自らを咬ませて死を選ぶ・・・あまりにも劇的・有名なシーンである。

 しかし、アントニーはクレオパトラのために腑抜けのようになって敗れたのだろうか?クレオパトラは「歴史を動かす」ほどの存在だったのだろうか?

 それは誰にもわからないし、シェイクスピアはそんなに単純な解釈はしていない。ただ、すでにシェイクスピアの時代には、いやそれよりずっと以前にそのような解釈が浸透していて、シェイクスピアは基本的にそういう解釈を少なくとも表向きは踏襲したのである。アントニー/クレオパトラ以外の脇役はそういう解釈をセリフとして述べている。

 でもこの滅亡を運命づけられている(史劇であるから)二人にとってはどうだったのか?決して、お互いのために自分を犠牲にしようなどという甘ったるいロマンスを演じているのではないし、アレクサンドリアで快楽に溺れていただけでは無い。しかし、この二人の主人公たちも最初からオクタヴィアスには勝てないと心の底ではわかっているのだ。

「何にせよ、あの男と勝負をしてごらんになるがよい、必ずお前様の負けになります。」とアントニーは早い時期に占師に予言されている。

 人生、わかっちゃいるけどやめられない、あるいはやらなくちゃいけないと思っていることが出来ないんだよな。そんな「スーダラ節」みたいなことがテーマなのか?うむ、とにかくシェイクスピアなのであるから多様な解釈が可能なのである。


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