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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004040005 | アーサー・C・クラーク | 2010年宇宙の旅 | 1982 | イギリス | ハヤカワ文庫 SF |
評者:発起人 評価:6 読了日:2004/04/20 公開日:2004/04/20
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不死への希求が生み出す想像力−あの2001年の続編
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あの、あまりにも有名な『2001年宇宙の旅』(1968)の続編として、今度は作者のアーサー・C・クラークが主導して書き上げた作品。この作品も1984年に映画化されているらしいが(ピーター・ハイアムズ監督)、スタンリー・キューブリック監督主導で映画が先にあった感じもする、衝撃的な前作に比べると知名度は劣るのではないか? コンピュータ・HALの運命は?ディスカバリー号は?宇宙飛行士デビッド・ボーマンは?モノリスの謎は?等々前作では氷解しなかった謎に作者が答えを与えるのである。 前回の木星探査の事故から10年経過し、再び人類は木星系にミッションを送り出したのだが、そこで待ち受けるものは?人類は新たな謎の解明と提示を同時に経験するのである。 私は小学生の頃、夜空に輝く星のほとんどが太陽と同じ恒星であって、一番近いやつでも太陽系から何光年も離れている、ましてや宇宙全体の規模はそのものずばり天文学的に大きく、自分が何年生きたとしてもこの全宇宙の謎を知ることができないのだということを知ったとき、絶望的な想いにとらわれたことを思い出す。 そして、浦島理論とか時空の歪みとか、光を超えて自分が生きている間に別の太陽系や銀河系、そこにいるはずの知的生命体と遭遇できるかもしれないと思わせる「理論」に希望を見出そうとしたが、それも自分の手には負えないとあきらめた。 つまり不死の存在になりたい、けどなれない・・・ううっ、不条理!と思ったのである。 きっとSF作家たちの多くも同じような想いにとらわれたことがある人たちだと思う。そこでかれらは、壮大な偽の歴史を、自分の時代の知りうる限りの科学的知識を動員して作り上げるのだろう。人類自体の歴史を記述することが不可能であるように、このSF宇宙史を完全に語りつくすことも困難だろう。作家は自分の脳内宇宙から、有りうべきひとつの物語を紡ぎ出すのである。 あー、でもやっぱりこういう作品はよく出来た視覚系に訴える映画のほうがいいのかもしれないなあと思う。無難ではあるが、やはり前作を超えられてはいないような気がする。えっ?次もある?2061年?その次が3001年??全部読まないとだめなのか? あー、それまで生きていたら読もうかなあ?無理だな。誰か私をコールド・スリープしておいてくれないか? |