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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004040003 | 堀江敏幸 | 熊の敷石 | 2001 | 日本 | 講談社文庫 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2004/04/09 公開日:2004/04/09
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趣味人の悦楽−「純文学」の細い流れを守ろう!
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「近頃の芥川賞・直木賞読破プロジェクト」、今日は堀江敏幸(ほりえ・としゆき、1964-)の芥川受賞作、『熊の敷石』(2001)。 わずか3年前の受賞作なのに、少なくとも私は最近文庫化されるまで、聞いたこともなかったこの作家、明治大学助教授でもあり専攻はフランス文学らしい。 性と暴力等々という最近の芥川賞受賞作で目立つテーマは無く、派手な事件が起きるわけではなく、じみな印象は否めない。しかし、薄い本だが、ぎっしりと言葉の密度が高い。圧縮率はかなり高い。こういう作品こそ、「純文学」のかつては広く深かった流れの今や細くなってしまった正当な末裔なのかと感じさせる。 「私」はフランス文学の研究者・翻訳者でパリの安ホテルに滞在している。しかし、旧友のユダヤ系フランス人ヤンと久しぶりに会うことにする。ヤンの指定してきた待ち合わせ場所へ向かう私、ヤンとの最初の出会いの、彼との会話、「私」が今梗概を作っているフランスの本、ヤンの案内してくれる風景、ヤンが撮った写真、「熊の敷石」の言葉の由来。ヤンが借りている家の大家で離婚したばかりのカトリーヌとその盲目の娘−。 こう書いているとまったく自分でも意味不明の話のようにしか読めないが、このように自由自在に場所や時間をうつろう私の意識が丁寧な文章で綴られる。 うーむ、この不全感、その中で繊細な意識だけがすくい上げ、作品の中に結実させることのできる感覚と思考の数々。これこそが、私のイメージの中での純文学である。「純」すぎて蒸留水のような気がしないこともないが、このような細流を大切にしていかないとね。 とは書いたもののイラクで人質になっている3人のニュースを聞きながら書いていると大きな無力感と絶望感に襲われるのも事実である。ボスニア、ユダヤ人と強制収容所の話も出てくるが、単純な怒りや悲しみに彩られているわけではない。 ヤンはアンネ・フランクに触れたあと、私にこう語る: 「戦争はイマジネールなものじゃない、逃げなければだめなんだ、逃げる機会はいくらもあったのに彼らは逃げなかったんだ、ここが住処だといって居残った、冷静に考えれば逃げるしかない唯一無二の機会を逸したんだ。」(p80) 表題作のほか、「砂売りが通る」、「城址にて」が収録されている。 |