|
感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004030002 | 長田弘 | ねこに未来はない | 1971 | 日本 | 角川文庫 |
評者:発起人 評価:8 読了日:2004/03/09 公開日:2004/03/09
|
自由、希望、悲しみ、反抗 − 若い時代の詩人の詩的エッセイ的作品
|
|
詩人の長田弘(おさだ・ひろし、1939-)の小説的エッセイ的作品。どこかで見たことのある、あの、長新太の猫の絵もついている。 でもこの人、やはりというか当然というか言葉の使い方が只者ではない。 3月のはじめのまだ空気の冷たい朝、目に入る陽の光が薄汚れているはずの街をきらめかせる瞬間とか、そのときに吸い込んだ空気とか、回りの人たちのしぐさとか表情など、感覚器官に焼き付いても言葉にすることなく、脳の(多分)奥の方にしまいこまれる。 でも運がよければ同じような感覚を言葉にした人の作品の中で思い出す、再体験することがある。 そういう言葉をたくさん発見できる本だ。 もともとは猫嫌いだった「ぼく」は猫好きのひとと恋愛をしてまずしいけれどしあわせな新婚生活を始める。「奥さん」となったその女性が最初に宣言したのは「ねえ、わたしたち、なによりもまず、ねこを飼いましょうね」。 そして最初に飼ったのは友人の飲んだくれ詩人からもらった「チイ」という子猫。でも二人と一匹が住む予定だったアパートはペット禁止、泣く泣く外に出すと「チイ」はもう戻ってこなかった。二人は何を犠牲にしてもねこを飼うということだけのために引っ越す。 今度のねこにも「チイ」という名前をつけた「ぼく」と「奥さん」のねことの生活、そしてねことの別れ、死別。ある日近所のねこがいっせいに姿を消すという事件もあった。サルトル(これはテレビの中に)まで登場するこの作品、ねこ好きにはたまらない、そうでない私もねこ好きになったような気がする。 「飼っていたねこの死や失踪に耐えられないくらいなら、はじめからそのひとはねこを飼うことなんかできないんだ・・・」(p114)。 表題作のほか、「ねこ踏んじゃった」、「わが友マーマレード・ジム」も収録されている。 ねこは自由な生き物だ。というかそのように人間には見える。野良猫など見かけなくなった今、この詩人は今何を考えているのだろう? |