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感想文番号 |
著者 | 書名 | 刊行年 | 刊行国 | 出版社 |
| 2004020009 | 下田治美 | 愛を乞うひと | 1992 | 日本 | 角川文庫 |
評者:発起人 評価:7 読了日:2004/02/27 公開日:2004/02/27
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愛は買えない、乞うものなのである、あるいは、可哀そうな話は「癒される」のである
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実は昔から「可哀そうな話」が大好きである。とくにいたいけな子供が貧しく夢もない環境で育ち、しかも苛められるような話、それにもかかわらずけなげに生きていくような話が大好きである。苛める大人を心の中で罵りながら、「がんばれっ!負けるなっ!」などと声援を送るのである。 昔の童話の場合はだいたい最後にはいじめる方は酷い目に会い(熱した鉄板の上で踊らされたり)、いじめられたほうは王子様と結婚したりするのである。しかし、現代ではそう事情は簡単では無い。 下田治美(しもだ・はるみ、1947-)のこの作品、映画にもなったようだが、四十歳になった「私」が一人娘の高校生、深草(みぐさ)に助けられ励まされて不幸だった子供時代を回想・想起していくのである。 複雑な血縁関係、実父と「私」を捨てて別の男に走った母。結核で入院した父、施設に預けられた「私」。父の死後、「私」を迎えにきた母は別の男と同棲していた。 そしてこの実母がまさに鬼のような女で「私」を文字通りむき出しの暴力で虐待するのである・・・。 母が捨てたもの、実父の遺骨・故郷を捜して「私」はさまざまな小さな手がかりをたどって、何度も失敗したり道をそれたりしながら「旅」を続ける。 そして、ついに「私」が探し当てたものは? ヘンに線香くさい感じもある。「許し」がこんなに簡単であっていいのかと思うところもある。あまりにも「私」が子供っぽい(とくに娘の深草との対比で)という感じもする。 しかし、しかし、である。私はこのような可哀そうな話が好きなのである。そういう意味では可哀そうなまま終わって欲しかった。許しや救いが無いほうが好きなのである。あるいは、悪役をこっぴどくやっつけるとか・・・。 いやいやそれでは児童虐待の拡大再生産、いわゆるアダルトチルドレン(AC)そのままじゃないかということになるので、面と向かっては言いにくいことなのだが、これはあくまでも物語なのであるから、そのまま突っ走ってほしい気もするのである。 しかし、今度はまた逆のことを言うと、そのまま突っ走ってしまえば、質の悪い虐待・トラウマ・遺伝・血・復讐の物語に堕してしまったかもしれず、うーん、難しいところだね。 つまり、この作品、絶妙な均衡を保った作品であると言えるのかもしれない。 「自分は望まれて生まれた子だ、という誇りだけで、子どもって生きていけるんだよ。」(p293、深草の言葉) |